今回はバブル期のアイドル『荻野目洋子』の昔と今、そして多くの代表曲について紹介します!
やはり、若い世代の人からするとダンシングヒーローのイメージが強いと思いますが、代表教はまだまだあります。
また多くの賞レースや紅白の出場もされています。
まずはプロフィールから!
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荻野目洋子プロフィール:年齢や身長
名前: | 荻野目 洋子(おぎのめ ようこ)
本名:辻野 洋子(つじの ようこ) 愛称:「荻野目ちゃん」 |
誕生日: | 1968年12月10日 |
血液型: | B型 |
出身地: | 千葉県柏市 |
職業: | 歌手、女優 |
身長 | 160cm |
事務所 | 株式会社ライジングプロダクション |
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]荻野目洋子の略歴[/word_balloon]
荻野目の芸能活動は幼少期からです。
1978年(昭和53年)小学4年生の頃、テレビ番組、『ちびっこ歌まねベストテン』(東京12チャンネル(現:テレビ東京))に出演していたところをスカウトさたことがきっかけで芸能界デビューしました。
ソロのアイドル歌手として活動し始めた1980年代中盤ころよりユーロビート調の楽曲を歌い、1986年から1989年までに、なんと「日本レコード大賞」の金賞を
4年連続で受賞しています。
他にも『NHK紅白歌合戦』に計5回の出場歴があるほどのキャリアを持っています。
因みに兄弟は姉2人、兄1人、の4人兄弟の末っ子。次姉は女優の荻野目慶子。
夫であるプロテニス選手、辻野隆三との間には女の子を三人もうけています。
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荻野目洋子の昔と今
アイドルとして活動していたように若い頃の荻野目はとても可愛かったと言われていますが、現在を見ても変わらず綺麗ですね。
特に下のツイッターのコメントにもあるようにショートヘアーが似合う=可愛い
荻野目洋子さん
昔のまま
かわらないなぁ— JK (@JK5420) September 17, 2018
荻野目洋子さんって昔からかわいいけど、年を重ねた今、一番かわいい!
素晴らしくTシャツもお似合いです🌸
DAICHIさん、良かったね😄#DAICHI #DAPUMP #荻野目洋子 https://t.co/FElOYxaNK1— 🌈あdp🌈 (@unicoooooooooon) March 21, 2019
歌うめぇなあ、荻野目洋子…
昔は明菜ちゃんの歌唱力ばかりに注目してたけど。— アタオカゴンタ♪ (@tangorohua_) February 8, 2021
荻野目洋子さんは今も昔もショートヘアが素敵。
— 緑月 (@gmwi41) August 24, 2020
荻野目は2000年台は活動を休止している時期が多かったです。
理由は、結婚や育児に専念するためでした。
ただ、2009年ごろから芸能活動を再開しています。
そして2014年に登美ヶ丘高校ダンス部が荻野目の曲を使ったことで再ブレイクされました。
本人もまさかの再ブレイクだったようですね。
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荻野目洋子の代表曲
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]荻野目洋子の代表曲といえば!?[/word_balloon]
やはり若い人からすると当然
ダンシング・ヒーロー
ではないでしょうか?
この曲は登美ヶ丘高校ダンス部が踊ったことで一躍若い世代にも有名になりましたね。
ただ他にも、
六本木純情派
湾岸太陽族
コーヒー・ルンバ
Dance Beatは夜明けまで
北風のキャロル
湘南ハートブレイク
など有名な曲はありますよね!!
https://www.youtube.com/荻野目洋子 ダンシングヒーロー 昔も今も素敵! #水曜歌謡祭 pic.twitter.com/6tnDdLThfF
— kazuoカズカズ (@tt333m) July 8, 2015
4年前の動画ですが、荻野目さん変わらずめっちゃ綺麗ですね。
あと、生歌でのこの歌唱力は本当すごいなと思います。
合わせて、登美ヶ丘高校ダンス部の方の無表情も凄い、、、、
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荻野目洋子の生い立ち
荻野目の家庭は独特の教育理念があった家庭のようです。
父親は普通のサラリーマンでしたが、姉が生まれた時は熊本県に転勤だったそうです。
その後、荻野目が生まれる時には、東京に帰ってきたようなのですが、『子供は自然の中で育てる』という親の方針のもと千葉県柏市に移ったそうです。
また、両親の思いとして『海外に飛び出していくような子供に育って欲しい』という思いも込めて、太平洋の洋の事をつけました。
生まれてから荻野目が幼稚園に入る時、埼玉県比企郡嵐山町に移り住み、洋子が小学校5年から、千葉県佐倉市に移ると度々転校することになっていました。
また、芸能活動をしていたため荻野目は中学校では卓球部に所属したものの、仕事が忙しくなり退部しています。
姉と二人の芸能活動をする上で二人が都内へ通うのが負担となったため、荻野目の中学卒業と同時に一家で東京都内に引っ越しています。
(兄は千葉県八千代市の高校に通っていたが中退し、忙しかった洋子のマネージャーとなっています)
荻野目は東京に移ってからは堀越高等学校の芸能コースに進学しています。
三年の時にはに井森美幸や岩井小百合、武田久美子らと同じクラスだったそうです。
順風満帆のように見える荻野目ですが、CDがブレイクしたのは『ダンシングヒーロー』本人の7枚目のシングル曲からでした。
デビューから2年後の曲なので、売れない時期の2年は相当大変だったようです。
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荻野目洋子のまとめ
今回は2013年に登美ヶ丘高校で再ブレイクした荻野目洋子の紹介でした。
今まで色々な芸能人を紹介する中、多くの芸能人の人はかなり波瀾万丈な方が多いですが。
荻野目洋子さんは家庭を大事にしながら仕事もされているのは凄いなと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!
では、また次の記事でお会いしましょう。
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