江副浩正の名言とジェフペゾスの上司だったヤバいやつとは!?リクルート事件

今回は20世紀最大の事件『リクルート事件』の主犯:江副浩正の紹介!!

そんな、日本を代表する企業を創設した江副と今や世界の起業家『ジェフペゾス』との出会いと関係を徹底調査!

 

そこに隠された意外な関係とは!?

そして、ジェフペゾスの上司だったヤバいやつとはいったい誰なのか!?

 

「まだ、ここにない、出会い。」から今回の情報を提供いたします!!

 

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江副浩正プロフィール

名前: 江副 浩正(えぞえ ひろまさ)
誕生日: 1936年昭和11年)6月12日
出身地: 大阪府
職業: 実業家
学歴: 東京大学
配偶者: 離婚歴あり

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]江副浩正の略歴[/word_balloon]

 

江副浩正といえば、日本を代表する起業家、天才起業家としての名声としての光の部分と闇の部分として戦後日本最大の事件とも言える『リクルート事件』の首謀者としてのも知られています。

 

また、また奨学金財団として江副育英会を創設し理事長、人材育成を支援する財団法人江副育英会(現:公益財団法人江副記念リクルート財団)を務める、執筆業、慈善事業など遺した功績功績も大きい方です。

 

江副浩正の学歴

江副は母親の実家である愛媛県越智郡波方村(現在の今治市)に生まれました。

 

その後、江副は大阪市天王寺区に引っ越しましたが、第二次世界大戦により家を失ったことで、豊中市に移ったそうです。

 

小学校は豊中市立克明小学校と豊中の学校に通っています。

ただ、中学高校は甲南中学校・高等学校に通っています。

 

甲南中学、高校は兵庫県芦屋市山手町にある私立中学校になります。

 

この学校は、芦屋、御影に家を持っているような裕福な家庭の子供が通う学校であり、数学教師の息子である江副のような家庭の子供が通うことは非常に稀だったようです。

 

この頃の江副は特にスポーツや学業でも目立つような成績を収めておらず同級生にも大きな印象の残る人物ではありませんでした。

 

江副は東京大学進学を有利にするために英語より受験生の少ないドイツ語を選択し東大合格を獲得しました。

 

このことは同級生の間では話題になったそうです。

 

 

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]江副が東大入学後[/word_balloon]

東京大学在学中にリクルートを創業しています。

江副が大学在学中に財団法人東京大学新聞社で企業向けの営業を覚えたそうです。

 

当時の証券会社は今のように高学歴の学生が選ぶ職業ではなかったそうです。

そこに目をつけたのが江副でした。

 

東大生を証券会社への就職を斡旋出来る広告を打ち出しました。

それをアルバイトぐらいで始めたことで月収20万円ほど稼ぐようになったといいます。

 

因みに江副が20歳の1956年の平均月収は3万円程度であることから、当時の月収の

 

7倍

 

もの収益を上げることになったことで

1960年、リクルートの前身である株式会社大学広告を設立しています

株式会社大学広告について

大学生への求人情報だけを集めた就職情報誌「企業への招待」を創刊し、「リボンモデル」を確立。

 

「企業への招待」は、アメリカの大学で配布されていた就職情報ガイドブック「キャリア」をヒントに出版され、リクルートの”広告だけの本”の原型となる。

 

起業当初は、東大新聞編集部の先輩の森稔が経営していた賃貸ビルの「第2森ビル」の屋上に仮設事務所を借りて事業を始めました。

 

大学広告は大学卒業新卒者向けの企業への招待(リクルートブックの前身)を発行(上述)これにより、求人広告という業界の地位を大きく向上させることとなりました。

 

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江副浩正とジェフペゾスの出会い

二人の運命が交差したのは1987年の秋頃から約1年間だけ交わりました。

二人の出会いとなったきっかけは、リクルートがファイテルという企業を買収したことで始まります。

 

「Fitel(ファイテル)」というベンチャー企業

創業者はコロンビア大学教授のグラシエラ・チチルニスキーという方です。

アルゼンチン生まれのロシア系ユダヤ人女性で経済学と数学の専門家とされています。

 

 

当時、証券の世界でもグローバル化が始まっていました、

ニューヨーク〜ロンドン、ロンドン〜東京など株の国際取引が本格化し始めた時です。

 

しかし、当時は現在のようにインターネットが普及しておらず、取引は電話や電報、ファックスなどで行われていました。

 

そのことで問題が多く生まれていたそうです。

 

電話やファックスのやりとりでは約定を交わし、数日後に約束の払い込みが行われる流れでしたが、決済日に払い込まれない、払い込んだが株が届かないなど、当時の方法では問題が絶えませんでした。

 

また、取引の正確な確認手段がなかったことや証拠も残らないことで『言った、言わない』の水掛け論になり、正確に取引が行われたのは全体の半分だったと言われています。

 

そんな、国際取引の問題の解決となる『イクイネット』と名付けられたシステムを有し投資家、証券会社、銀行の3社を結び国同士の取引を正確に行うことの出来る状況を作った先駆けがファイテルという会社でした。

 

ジェフペゾスは当時この企業の平社員の一員として、リクルートからの買収案に立ち会うことで江副と出会うきっかけを作り出しました。

 

当時のジェフペゾスは、ロンドンに本社を置き米国のソロモンブラザーズ、複数の国際金融機関、約30社を顧客に持っており、世界国際決済の10%の処理を行っていました。

 

 

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ジェフペゾスの上司だった日本人のヤバいやつ!?

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]そしていよいよ『日本人のヤバいやつとは!?』[/word_balloon]

これは当然、江副のことになります。

 

江副がこれから話すやり方を間違えなければ、日本は今以上に発展しIT業界としても世界を席巻できたと私は思います。

 

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]リクルート事件まで[/word_balloon]

江副がファイテルを買収したのは思いつきや偶然などではありませんでした。

 

なぜなら、日本では電卓が用いられるかどうかの時に、今後はコンピューターの時代が来ると予見していたからです。

 

そして、買収と同時に日本国内の腕利きのエンジニアを中途採用し時代を切り開くために動いたそうです。

 

そして、日本の川崎〜ロンドン〜ニューヨークに『通信機器を備えたコンピューター基地』を作り、3拠点を国際回線で繋ぎ、サービスを金融機関へ提供することを考えていました。

 

このシステムの構築は現在のAmazonの収入源の柱となっている『アマゾンウェブサービス(AWS)』と同等のものです。(言わ有る、クラウド・コンピューティングです)

 

それを江副は30年も前に考案していたというのは、まさに驚愕の先見の明と言えるでしょう。

 

現在のAWSは財務会計、給与計算、顧客管理、そのデータ解析と全てのサービスを提供しています。

 

現在はCIAでさえも顧客になっています。

 

江副が見ていたように、地球上全てにサーバーがあり時差を利用することで深夜の時間帯のエリアを効率的に利用することで全てのコスト削減が実現しています。、

 

マクドナルド、ネットフリックス、キャノン、ユニクロ、UFJなど世界の企業がAWSを利用しているのが今の世の中です。

 

きっと、江副が生きているなら、それを自分の手で実現できなかったことを悔しがるでしょう。

 

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江副浩正の名言5選

 

第1位

 

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

 

第2位

マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。その証拠に、10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。

 

第3位

より高い効果を上げるマネージャーは、要求されている様々な仕事のうち、一番大事なことから手がける。仕事を受付順に勧めるような人は、優れたマネージャーとは言えない。目の前にある仕事の中で、一番大切なものは何かをいつも考えていなければならない。

 

第4位

目標を大きく持て。志が小さければ人間も小さくなる。

第5位

今日すべきことは明日に延ばすな。明日に延ばすことは人に迷惑を掛けるか、機会を逸するかのどちらかである。

 

第1位の江副の名言は誰でもの知っている言葉では無いでしょうか??

因みに私はリクルートのことをよく知っています。

 

その人にあえば本当に楽しい会社であり成長できる会社だと思います。

私がリクルートの方が言っていた言葉で好きな言葉は

 

『運を手に掴む方法は、行動力と行動量しかない』

という言葉です。

 

今も仕事をする上で、その言葉を意識しています、運は決して平等に与えられるものではないですが、それでも行動すれば誰しも平等に与えられると思える言葉と思います。

 

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江副浩正が起こしたリクルート事件

https://www.youtube.com/

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]いよいよリクルート事件について!![/word_balloon]

リクルート事件の始まりは1988年昭和63年)江副が会長に就任した年の6月です。

当時、リクルートコスモス(不動産)の未上場株を賄賂として譲渡されていたという事件です。

 

賄賂を渡したリクルート関係者、賄賂を受け取った政治家、官僚、NTT関係者が逮捕されました。

 

当時では、戦後の日本最大の企業犯罪、贈収賄事件とされています。

 

未公開株の譲渡は犯罪なのか?

これについて、事件当初の検察では賄賂に当たるのか?

という話が持ち出されたようです。

 

確かに上場することで持ち株を売ることで巨額の利益を得ることが出来ます。

しかし、100%上場出来るわけではありません。

 

また、上場したからといって数十〜数百倍に価値が上がる保証はありません。

ただ、渡した側、受け取った側にその意図があったかどうかが重要になったようです。

 

当時の検察はその証拠を掴むために尽力していました。

 

事件の発覚

バブル景気の真っ只中であった時代に、江副は政府の会合の諮問委員として呼ばれるなどそのビジネスの手腕を大きく評価されていました。

 

そこで、政治家とのパイプをより強固にするためにまた、リクルートを不動の地位にするために必死だったそうです。

 

今ほどの圧倒的な地位を築きていないリクルートとして江副は、『他社に追い越されてしまうかもしれない、会社が潰れるかもしれない』そう焦りを感じることもあったと言われています。

 

そこで、当時不動産バブルでもあり、不動産部門としての未上場のリクルートコスモスの未上場株を多くの政治家にプレゼントしていました。

 

この時に未上場株を受け取った人間は

 

90名

 

と言われています。

 

そして1988年の川崎駅西口再開発の便宜譲渡として当時の川崎市助役(現副市長)へリクルートコスモスの株を江副は譲渡しました。

 

これをスクープしたのが朝日新聞でした。

『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』

 

の見出しとともにメディアの明るみに出ることになりました。

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検察はどのようにして立憲したのか??

上記の発覚により、捜査は川崎市助役ということから政治家絵の関与の可能性があるとして多くの与党議員が取り調べを受けることになりました。

 

当然、与党議員が追求されて喜ぶのは

 

野党

 

そこで、野党からの圧力を弱めるために、リクルート側が野党に対して接触を図りました。

そう、賄賂をリクルート側が持ちかけました。

 

しかし、この時の野党議員は記者に隠し撮りをさせその現場をテレビに放送させました。

これが決定的な証拠となり特捜部は立件に動き出します。

 

この時に株式の譲渡リストを押収しますが、大物政治家の立件は難航を極めたそうです。

そこで、立件が可能な人物を絞り、労働省幹部、文部省幹部、NTT幹部、政治家の4つで動きました。

 

 

そして、初めにNTTへの工作が伺える、リクルートの幹部会議の記録に残された江副の『NTTの回線リセールやスーパーコンピューターを利用した新規事業に社運をかける』との発言が記録されていたことで強制捜査に踏み切られることになりました。

 

 

進藤会長を含むNTT幹部3名と江副が贈賄容疑で逮捕されることになりました。

最終12名が逮捕されることになりました。

 

この当時、大物政治家は立件はされなかったものの内閣支持率は

 

10%を切る事態に陥ります。

 

そして竹下内閣は総辞職することになりました。

 

12名は全て有罪となります。

 

主犯の江副は贈賄罪で起訴され、2003年(平成15年)3月、東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決が下されます。

 

公判回数は異例の『323回』にも及び事件発覚から15年という歳月をかけこの事件に幕が引かれることになりました。

 

 

 

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江副浩正のまとめ

https://www.youtube.com/

今回は日本の光と闇を作り出した江副浩正の紹介でした。

 

戦後最大の企業犯罪として日本史名を刻むことになりましたが、それだけのことが出来る人間であったからこそ、現在もリクルートは第一線の企業としてあり続けているのでは無いでしょうか?

 

リクルートが一般企業と違う部分は多くありますが、一つは社内の新陳代謝を行い続けているということでしょう。

 

40歳で引退(卒業)がリクルートでは普通です。

生涯雇用ではなく、リクルートで何を学び自分は今後何していくのかを問い続けられる会社です。

 

 

エンジニアで入社として入社しても営業経験を積ませる。

など、一般的な日本企業の仕組みと違うところが沢山あります。

 

 

また、全ての社員に『リクルート事件』についての教育も行われ、同じ過ちを犯さないようにするための教育も徹底して行われています。

 

 

今日の失敗を明日の成長のために自分はどう捉えるのか??

それを日々の業務の中で問われ続けます。

 

 

もし、江副が『リクルート事件』を起こしていなければ日本という国やリクルートという会社が大きく変わっていたのは間違い無いでしょう。

 

30年早くジェフペゾスと同じ未来を捉えていた人間それが江副浩正という人でした。

 

あとは、余談ですが、池上彰さん曰く江副浩正は人に贈り物をするのが大好きな人だったと言われています。

 

そのことから、もしかしたら賄賂以上に善意で配っていた、、、

という部分もあったのかもしれませんね。

 

動画で5分でおさらい『リクルート事件』

https://www.youtube.com/

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!

 

では、また次の記事でお会いしましょう。

 

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この記事を書いた人

初めまして、管理人のアオイです。
現在東南アジアに住んで5年目突入、ブログを書きながら色々しています。
よろしくお願いします。

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