『人の話を聞かない』田原総一郎はボケている?現在の評判やひろゆきとの討論が檄ヤバ!

今回はジャーナリスト、評論家など多数の肩書きを持つ男、田原総一朗の紹介!!

 

現在の田原は『人の話を聞かない』『呂律が回っていない』『くちゃくちゃ音うるさい』『耳が遠い』『ボケている』など、視聴者やリスナーから多くの酷評がネット上に上がっています。

 

私もメディアに出演している田原を何度か拝見していますが、お世辞にも酷評をフォローをするのは難しいと感じました。

 

なぜ、現在の田原に対してここまで多くの批判が上がってしまったのかを調査しました。

まずは、田原のプロフィールから見ていきましょう。

 

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田原総一朗のプロフィール

名前: 田原 総一朗(たはら そういちろう)
誕生日: 1934年(昭和9年)4月15日
血液型: B型
出身地: 滋賀県(恐らく)
職業: ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。ドリームインキュベータ社外取締役

元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員[。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会

身長 166CM

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” icon_type=”sweats” icon_position=”top_right” icon_size=”M”]田原総一郎の職業が多すぎる、、、[/word_balloon]

上述のように田原の役職が多すぎる問題。

これだけの肩書きがありますが、ご本人も把握できているのか疑問になりますね。

 

ただ、下述にも記載しますが、現在の田原の状況でこの肩書きの仕事量をこなすことができるのかは、疑問が残るところです。

 

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]度が過ぎた軍国少年の子供時代[/word_balloon]

田原は近江商人の末裔と言われています。

事実、出生地や小学校、中学校も滋賀県であるため事実のようです。

 

田原の少年が第二次世界大戦中期、人並みな軍国少年であったと言われています。

海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。

 

しかし、敗戦当時、それまで習ってきた価値観が180度ひっくり返ったそうです。

そうか、世の中に絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない」と感じたとか。

 

今では考えられないですよね。

国のために特攻することに違和感を持たないと言う教育は洗脳でしかなかったのでしょう。

 

『特攻怖い、、、』

 

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振り返ってみる田原総一朗の若い頃のエピソード:1

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]田原総一郎の学生時代は今と変わらない!?[/word_balloon]

田原は早稲田大学第一文学部史学科を1960年に卒業しています。

現在の活動のように、当時からジャーナリストが志望でした。

 

 

就職活動もNHKや朝日新聞、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)などのマスコミを手当たり次第受けたがどれにも受からなかったそうです。

 

 

面接を落ち続けて11社目にして初めて合格した岩波映画製作所に入社しています。

この時はカメラマン助手を務めました。

 

 

これは本人の口から語られているのですが。

(ジャーナリストの田原総一朗が10月21日、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演時)

 

面接をなぜ

 

10回も落ちたのか?

 

と言うことなのですが、この理由は

【面接中に政権批判をした】ことが、面接に落ちた理由と言われています。

 

これは

 

流石に面接で政権批判をする人間を、当時、受け入れる会社はなかったようです。

 

 

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東京12チャンネルディレクター時代の激ヤバエピソード:2

田原総一郎は[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]田原総一郎は2回逮捕されている!?[/word_balloon]

当時の東京12チャンネルは開局当初であり、まともな番組を作っても誰にも相手にされない、企画を出しても通らなかったそうです。

 

そこで、田原は番組を作るためのスポンサーも自分で探していました。

その時、『どうやったら見てくれる番組を作ることが出来るのか?』

 

と考え、辿り着いた先が

 

『やばい番組』

 

『やったら警察に捕まる番組』

 

を作ることを考えました。

(発想がヤバすぎる)

 

 

田原総一朗:1度目の逮捕

当時の事件で

 

『警視総監宛てに爆発物を送って、奥さんが亡くなった事件(1971年 警視総監公舎爆破未遂事件』

 

があったそうです。

田原は捕まったグループの取材を試みます。

 

なぜなら、田原は彼らは犯人ではないと思っていたから。

なのですが、それは事実で1981年に無罪確定しています。

 

そしてこの時、どんなやばいことをしたのかというと。

犯人グループとして逮捕された彼らを、あろうことか(警視総監公舎の前庭)で取材しています。

 

これにより、田原は

 

(不法侵入)

 

の罪により逮捕されることになりました。

 

 

田原総一朗:2度目の逮捕

木島則夫が日本テレビの番組(『ハプニングショー』)を新宿(コマ劇場前)でやってい他時のことです。

 

それを(邪魔に感じていた)田原は、新宿のフーテン族たちをけしかけて、この番組を邪魔しました。

 

その時、木島則夫たちは、何か恐怖を感じ、喫茶店のなかで放送することになりました。

それを一部始終を撮影したところ、淀橋警察署が来て、捕まったそうです。

 

この時の逮捕理由は

 

威力業務妨害

 

現在なら即クビになるところですが 、田原は首にもならず、また両方ともオンエアされたそうです。

 

フーテン族を知らない方のために↓

https://www.youtube.com/

その後も、田原は同局で務めるのですが、、、

結局42歳でクビになったそうです。

 

本人曰く、クビになってよかったと話していました。

 

理由は、あの時クビにならなければ、今のような仕事もできないまま、ただただ、放送局で定年まで働いていただろうとのことでした。

 

因みに首になった理由は、1976年ごろに薩摩書房の『展望』という雑誌で原子力の取材を始めたそうです。

 

当時から原発反対の運動はあったようですが、この時原発推進の運動が起きたそうです。

それについて、調べていた田原はその後ろに『電通』の存在に気づいたそうです。

 

そのことを記事にしたことで、局からは『記事を書くことを止めるか、仕事を辞めるか』の二択を迫られました。

 

しかし、それを無視していたことで、当時の田原の上司である局長が辞任することになり、田村もクビになったと話していました。

 

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人の話を聞かない田原総一朗って本当?(VSひろゆき)

https://www.youtube.com/

『人の話を聞かない』『呂律が回っていない』『くちゃくちゃ音うるさい』『耳が遠い』『ボケている』と言われている田原について一つずつ解説していきます。

 

上記の添付動画なのですが、田原にとって都合の悪い部分は編集されているようでした。

実際の配信を見ていた時のシーンがカットされているようです。

 

 

田原総一朗:『人の話を聞かない』説

上記の動画の後半(35:00〜)辺りから、田原はひろゆきが話している話を遮って持論を展開しています。

動画を最初から最後まで見たのですが、正直見ていて良い気はしなかったです。

 

 

人の話を最後まで聞くことが出来ない、常識のない方としか見えませんでした。

単に『頑固親父』『◯害』の戯言だなと思います。

 

 

他人の意見を聞き入れることの出来ない程度の器の方なんだと思いました。

典型的なブラック企業の経営者のようです。

 

こんな歳の取り方はしたくないものですね。

 

田原総一朗:『くちゃくちゃ音うるさい』説

田原の『くちゃくちゃ音』なのですが、恐らく年齢的にも入れ歯を入れていると思われます。

そのため、滑舌の低下や何を話しているかわからないと言われているのでしょう。

 

 

上記の動画を見ていて、私も田原が何を話しているかわからない、聞き取れないシーンが多々ありました。

 

田原総一朗:『耳が遠い』説

 

 

田原は2019年に補聴器をつけ始めたようです。

つけるきっかけとなったのは、鳥越俊太郎さんから勧められたことでした。

 

鳥越さん自身もつけていることから勧めています。

この時まで田原自身は『聞こえづらい』と言う自覚もなかったそうです。

 

他にも、めんどくさくて先延ばしにしていたと話しています。

で、『え?え?』と聞き直すことがなくなったのかというと

2021年のTwitter上の情報です。

結果、田原の耳が聞こえない件は

 

『改善していない』 

 

 

 

もしかしたら、つけ忘れているのかもしれません。

後は、補聴器をつけたからといっても完全に治るわけではないので、限界があるのでしょう。

 

田原総一朗:『ボケている』説

 

これは、ボケているのかはわかりませんが。

動画上でもひろゆきの質問に対して『わからない』と話していました。

 

私はリアルタイムでこの放送を見ていたのですが上述のシーンは都合が悪いのか編集で削除されています。

 

確か、ひろゆきが『台湾のへの中国の進軍の話や、電子工業の機械についての話』をしていたときに、話の展開の速さや、現代の状況についていけていないようでした。

 

恐らくこのようなことが度々続いていることからボケて’きていると言われているのかもしれません。

 

田原を擁護するわけではありませんが、ひろゆきを論破することの方が難しく、現代の情報社会の先端を走っている人間と、テレビが出来て感動した世代ではもう話が合わないような気がします。

 

皆さんが、MacBookを使っている中、一人ワープロを使っているのと同じことでしょう。

 

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田原総一朗のまとめ

今回は、最近酷評の多い田原総一朗についての調査でした。

それでも、88歳という年齢でいまだにメディアに出て討論を出来る田原さんは凄いと思います。

 

 

ただ、個人的には凝り固まった古い考えを押し付けるような発言はどうかなと思いますが。。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

では、また次の記事でお会いしましょう。

 

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この記事を書いた人

初めまして、管理人のアオイです。
現在東南アジアに住んで5年目突入、ブログを書きながら色々しています。
よろしくお願いします。

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