昭和の伝説のアイドル中森明菜がなぜ『天才』と呼ばれているのか?また、昔の写真を振り返りながら、笑顔が可愛いと呼ばれる理由や少し前から海外でレコーディングしている理由はなぜなのか?
多くのヒット曲を生み出し、恋人の裏切りや家族との確執で心身に不調をきたしてしまった中森明菜の『金屏風事件』についても知らない世代のために振り返ります。
まずは、プロフィールから!
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中森明菜のプロフィール
名前: | 中森 明菜(なかもり あきな) |
誕生日: | 1965年(昭和40年)7月13日 |
血液型: | A型 |
出身地: | 東京都大田区(大森) |
職業: | 歌手、女優 |
趣味:特技 | 料理、ボクシング観戦、クラシックバレー |
身長 | 160CM |
事務所 | 研音→コレクション→コンティニュー→N.A.P.C→楽工房→FAITH |
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]中森明菜の略歴[/word_balloon]
中森明菜は昭和を代表するアイドルです。
多くのヒット曲を歌い、アイドルの当たり年と言われる1982年にデビューしました。
中森明菜のデビューのきっかけ
デビューは当時大人気だった日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に出演し合格したことがきっかけです。
出場当時は16歳の誕生日直前でオーディションに合格し、大手レコード会社ワーナー・パイオニアと契約することになりました。
1981年5月1日にシングル曲『スローモーション』でデビューしセカンドシングル曲である『少女A』が大ヒットしました。
https://www.youtube.com/スローモーション
「スローモーション」は、オリコン週間シングルチャートの1982年5月10日付で初登場58位を記録しています。
その後1982年7月26日には最高順位30位を記録し、翌週の1982年8月2日付でも2週連続となる30位を記録しています。同チャートの100位以内においては、計39週に渡ってランクインしました。
少女A
「少女A」は、オリコン週間シングルチャートの1982年8月9日付で初登場40位を記録します、その後、1982年10月18日付で最高順位5位を記録、約40万枚の売り上げとなリマした。TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』においては、中森にとって初出演となり、1982年9月16日の放送で9位を記録、1982年10月28日の放送で最高順位3位を記録したヒット曲です。
このように華々しいデビューと、歌唱力の高さ、ルックスでスターへの階段を上り一躍有名人になっていきました。
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中森明菜の伝説
上記のようにトップアイドルとして活動した中森明菜の伝説的な記録の数々
CDの売上記録(シングル) |
シングル総売上げ枚数ランキング 歴代歌姫ベスト100では
第11位は中森明菜
シングル総売上は1287万枚
ザ・ベストテンの1位獲得数 |
69回『歴代トップ』
因みに2位最多獲得歌手も中森
余談:「禁区」で4週目の1位になった際には、3週目の時に被った紙吹雪の量があまりにも多かったことで、顔に直撃したことがあり、視聴者から「あまりにもかわいそうだ」とする意見が多数あったそうです。
その結果、紙吹雪の量を減らしたことがあったらしい。
CD売上枚数(シングル+アルバム) |
歴代15位:2533.1万枚
異例の宣伝費 |
当時のアイドルの売り出しとしては、1年目に投資、2年目に勝負、3年目に利益を出す。
このやり方が王道だったようです。
しかし、中森の場合は1年目から1億円以上もの宣伝費をかけたそうです。
その投資の回収に関しても半年で回収できたと言われています。
また、今までのようなアイドルとしてのイメージの方に当てはまらなかったそうです。
中森は、3年目にはセルフプロモーションが完成しており、従来のアイドル的な衣装からの変更しアーティストとしての路線変更、制作側への発言などもあり自身の世界観を作り上げていきました。
また、斬新かつ完璧主義者の中森の感性に当時の関係者はついていくことが出来なかったと
、当時中森が所属していたワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で中森の担当プロモーターだった田中良明(現在は「沢里裕二」)が話されていました。
情報元:夕刊フジ
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中森明菜の笑顔が可愛いと言われる理由
中森明菜の笑顔が可愛いと言われる理由は2つあります。
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]笑顔が可愛い理由:その1[/word_balloon]
一昔前に『芸能人は歯が命』と言われたように中森明菜の歯並びはとても綺麗です。
ただ、スター誕生当時の映像を見たところ、歯並びは綺麗ではありませんでした。
その後、デビュー曲の『スローモーション』では歯並びがとても綺麗になっています。
このことから恐らく、歯列矯正または差し歯にすることで歯並びを良くしています。
ただ、デビューまでの期間ですぐに歯並びを矯正できるのか?
と言うところなのですが。
物理的には早く歯並びを治すことは可能です。
ただ、あまりにも早く動かすと歯茎が壊死したり下がったりすることがありかなりリスクを負うことになります。(私自身が歯列矯正を行い担当医から直接聞いた話です)
ここを考えると、『芸能人は歯が命』なのでそのようなリスクを負って歯列矯正をしたとは考えにくいです。
なので、差し歯にすることで歯並びを良くしたと思われます。
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]笑顔が可愛い理由:その2[/word_balloon]
これは全ての笑顔に当てはまるわけではないですが、歯に噛んだように笑顔を見せることがあるからではないでしょうか?
作り笑顔の感じがなく、目が笑っていることや恥ずかしそうに笑うこともあることから、多くの人の心に残る印象になったんだと思われます。
後、今回多くの映像を見たのですが、歌っている時に笑顔になっていることがとても多かったです。
それ故、人の記憶に多く残っているのかもしれません。
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中森明菜が天才と呼ばれる所以
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]なぜ天才と呼ばれるのか?[/word_balloon]
中森が天才と呼ばれる理由なのですが、大きく3つあると思われます。
理由1:圧倒的な感性の違い |
上記にも記載したように、周りの関係者が追いつけないような感性を持っていたこと。
今までのアイドルのイメージから自身の求める理想像に突き進み実現できるほどの感性とバイタリティは並の芸能人と一線を画する存在になった理由の一つでしょう。
また、持ち前の歌唱力、ルックス、時代の全てが合わさったことで歴史に名を残すアイドルになったことは間違いありません。
理由2:ステージ上での存在感 |
よくモノマネでもされるように、普段の中森の声ってとても小さいですよね。
ただ、ステージに立った時の圧倒的な歌唱力と独特の存在感は先天的なものだと思います。
現在でいうなら、『憑依系』のアーティストの元祖ではないでしょうか?
理由3:数々の記録 |
ザ・ベストテンでの記録、CDでの販売枚数、日本レコード大賞を2年連続受賞や細かいことを挙げるとキリがないほどの記録を残しています。
また20歳の時には絶対的な地位を築いた才能も天才と呼ばれる所以でしょう。
ただ、上述にも出たように『完璧主義者』と呼ばれることがあるように見えないところでの努力は人並み外れたものだったと言われていることから『秀才』でもあったことが伺えます。
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中森明菜の金屏風事件の振り返り
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]30代以下はあまり知らない金屏風事件って何?[/word_balloon]
中森が人気絶頂の時に出会った相手がマッチこと近藤真彦でした。
度々、仕事を一緒にすることがあったことから交際に発展していったそうです。
交際期間は6年間ととても長い付き合いをされていたことや、ある程度世間も気づいていながらも暗黙の了解のような空気が当時にはありました。
しかし、いくつかの問題が重なったことが引き金となり金屏風事件へと繋がっていきました。
1、近藤真彦がお金を使い込む。
中森が二人の結婚資金のためと預けたお金『8000万円』を近藤が自身の趣味のレースに使い込んだようです。
当時の二人の年収には開きがあり、中森は年収5000万円はあったと言われるものの、近藤は1000万円ほどだったといいます。
近藤も身の丈に合わない額を手にしたことで自身の欲望を制御できなかったようですが、これって完全な結婚詐欺ですよね。。。。
2、松田聖子とニューヨークのホテルでの密会
当時の松田聖子は中森と人気を争う人気アイドルでした。
しかし、当時の松田は既婚者であり不倫と言うことになります。
当時でも、『ただお茶をしていただけっだった』と言う話や『フライデーのトラップだった』と話していましたが、本当の真実は結局わからないままでした。
ただ、松田と密会の直前に近藤は中森とハワイでの旅行を楽しんでいたこともあり、中森としては相当ショックだったに違いありません。
このことで、松田との密会がスクープされたことで、中森と近藤の中は悪くなっていったそうです。
そして、1989年7月に近藤の家で中森が自殺をするということになります。
この時、近藤が第一発見者とされています。
かなり、深く手首を切ったことで、腱や神経をつなぐ手術は6時間にも及んだそうです。
そして、ここからジャニーズの女帝メリーの画策が始まります。
所属事務所の研音からの退所 |
研音は現在でも大手プロダクションであり芸能活動をする上では大きな後ろ盾になる事務所です。
しかし、研音が中森と接触できたのは中森が入院してから1ヶ月後だったそうです。
この間に、メリーは中森を洗脳していました。
『あなたは研音に騙されている』そう何度も話、中森が研音に対して疑心暗鬼になるように仕向けます。
そして、メリーの思惑通りに中森は研音の事務所を対処することになります。
嘘の内容で中森を公の場に引き摺り出す |
ここでいよいよ、金屏風がなぜ置かれていたのか?
という話になります。
これは、メリーが『近藤との結婚記者会見をする』ということを中森に伝えることで公の場に誘き出すためのものであったと言われています。
そして、記者会見の直前に『自殺については近藤は関係なかったと言え』と言われたそうです。
それ故、中森の会見での様子は常に情緒不安定であり、金屏風も合わさってチグハグな状況であったようです。
あたかも、近藤が中森の窮地に現れたヒーローのように演出するために、中森はただ利用されただけだったと思わざる得ないでしょう。
実際、メリーの画策があったかの証言や証拠が残っているわけではありませんが、明らかに不自然な状況を考えると、メリーの画策があったと考える方がしっくりくると思われます。
当時の記者会見がこちら
https://www.youtube.com/
動画を見ても不自然極まりないですよね。
ただでさえ、傷心していた状態の中森を更に貶めるようなことを平気でするって正気の沙汰ではないかと思います。
ただ、ジャニーズはSMAPの騒動の後に公正取引委員会から警告を受けたことも考えるとかなり好き勝手やっていたのではないかと思われます。
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中森明菜が海外でレコーディングをするようになったのはなぜ?
[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]なんのために海外でレコーディング?[/word_balloon]
中森は近藤の一件の後も、活動は続けています。
また、近藤との映画の出演から女優としての演技力も評価されていたようです。
ただ、研音の後ろ盾がなくなったこともあり、中々個人事務所にしてからは結果が出せない状況でした。
そんな中でも芸能活動を続けていた中森ですが、近藤の一件や家族との確執
(中森の家族全員が中森のお金を使い込んだことや搾取し始めたことで、段々と人間不信になっていったそうです。)
があった心労にも限界に達したのが2010年頃でした。
2010年9月以降、ストレスによる体調不良で無期限活動中止となり、一時は入退院を繰り返すほどでした。
実際は重度のうつ病を患っていることが明かされています。
恐らく海外でのレコーディングをしている理由は、日本では辛いことがあり過ぎたからではないでしょうか?
メディアに出ない時期も音楽活動は続けていることから、大好きな音楽に没頭出来ることや、人間不信になってしまったことで日本での生活は息が詰まるから、海外でレコーディング活動をされているのだと思われます。
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中森明菜のまとめ
今回は、(昭和の歌姫)中森明菜の紹介でした。
若くして天才と称賛され人気絶頂期に恋人に裏切られ、波乱万丈の人生とも言えるのが中森の人生だと思います。
ただ、重度の鬱を患ったことで心身の不調をきたしてしまったことは、本当に悲しいことだと思います。
それほど過酷なことが多かったんだと思います。
今後の人生が幸多いことを願うばかりです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!
では、また次の記事でお会いしましょう。
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