今回は羽生善治さんについてお話します。
将棋界の伝説を作ったと言っても過言ではない格の違う棋士さんです。ファンの方はご存知の試合があると思います。
全く知らない方もどれほどの偉業を成し遂げたのか、綴っていきます。
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羽生善治の伝説の一手とは?
https://www.youtube.com/
エンタメニュース「羽生善治伝説まとめ!手が震える理由と伝説の一手がやばすぎ【動画】2chで神扱い」
「あっ羽生さんの手が震えました」
「ということは羽生さんの勝ちですね」
これは将棋ファンにとっては非常に有名なフレーズです。
羽生善治さんは対局中に手が震えることがあります。これはアル中でもなければイケないお薬の禁断症状でもなく、勝ち手が見えた時に起こる症状らしく、
「このままいけば勝てる!しかし油断は禁物!」
と考えると震えだすようです。
勝ちを意識して興奮してしまうけれど、うっかり足元を掬われないように相手に悟られまいと耐えている状態とでもいいましょうか。
常人だと表情に出てしまったりしますが、羽生善治さんは身体に表れてしまうようです。
時には対局相手の駒を弾いてしまうほどの震えになりますので、解説の人は羽生善治さんの手が震えだすとこのように思うようです。
さらに、フジテレビの番組内では女流棋士の竹俣紅さんが、
(羽生)先生の手が震えたら(私達※自分に指先を向け)もう終わりだと思ったほうがいいです
と敬畏を込めて語りました。
また、羽生善治さん自身もこの特性を理解していて、打ち手に迷いが出たときはわざと手を震わせて相手を引かせるようにするなどの噂もあるようです。
羽生善治、伝説の一手にしびれる件!加藤一二三との伝説の対局
歴代名人をなで斬りにしてNHK杯初優勝を決めた羽生の有名すぎる名手▲5二銀。
一見手がかりがなさそうな後手玉を一撃で仕留める次の一手のような鮮烈な一手は、米長邦雄永世棋聖の名解説でよりその輝きを増した。
まさに神の一手、常人では思いつかないひらめきによる打ち方をする羽生善治さん。
数々の神の一手を生み出していますが、代表的なのは第38回NHK杯戦準々決勝(1989年1月9日)の加藤一二三さん(当時九段)との対局でしょう。
2手目△3二飛戦法で幕を開けた本局のクライマックスは図。中空に打った△6六銀が詰めろ逃れの詰めろ。
▲同歩と取らせることで▲6六桂と打つスペースをなくし、詰めろを解除するという奇跡的な手順に将棋ファンが沸いた。
結果は千日手。指し直し局を制した羽生が王座奪還、王座通算20期の偉業を成し遂げた。
他にも数々の神の一手がありますが、第60期王座戦第四局千日手局(2012年10月3日)の渡辺明さんとの対局時にも終盤の△6六銀が見る人すべてを驚かせた一手です。
羽生善治さんはこの前年に渡辺明さんに20連覇を阻止され、この時挑戦者という立場から見事神の一手で勝利しました。
羽生善治の伝説まとめ一覧/2ch
巨大掲示板で有名な2ch(5ch)でも羽生善治さんの伝説は語り継がれています。
いくつか有名なものをまとめました。
A:羽生はどれくらい凄いの?
B:簡単に言うと、日本の将棋界には7つのタイトルがある。
A:うん。
B:過去10年間だと、延べ70人のタイトルホルダーがいるわけだ。
A:うんうん。
B:その70人のうち、半分の35人が羽生だ。
A:( ゚д゚ )
言っていることが一瞬分からなくなる会話ですが実際に毎年数々のタイトルをかっさらっていっています。
一星球(竜王) 7個
二星球(名人) 9個
三星球(王位) 18個
四星球(王座) 24個
五星球(棋王) 13個
六星球(王将) 12個
七星球(棋聖) 16個
これだけ集めた(1個取るために毎回天下一武道会を優勝する必要あり)
将棋に詳しくない人でもドラゴンボールで例えるとすごさが分かるのではないでしょうか?
もはや年に何度も天下一武道会を開催する必要さえあります。
トーナメントで当時の名人経験者全員とあたりその全てに勝ってたりする
ラノベや少年漫画ならありがちだが現実でやられても困る
まさに強くてニューゲーム状態。最近ラノベで流行の転生者ではないかと思われる。
おまえら、もし地球に将棋星人が攻めてきて、向こうの大将と 地球代表が将棋一番勝負で対決し、負けたら植民地にされる という事態になったら、地球代表は絶対羽生でないとイヤだろ?
深浦でもいいのか?深浦に地球の命運を託せるのか? 羽生をけなしてるやつは地球規模で考えるんだ
アメコミヒーロー並のヤバさ。アメコミヒーローではスーパーマンがNO1かもしれませんが将棋界での羽生善治さんはそれに値するほど。
いかがでしたでしょうか?まるで漫画や映画のような羽生善治さん。
他にも史上初の「永世七冠」獲得、そして「国民栄誉賞」の受賞。彼の伝説は現実離れしたものばかりですが、羽生善治さんだけではこのような伝説は生まれなかったでしょう。
数多のライバル、熱い対局を更に加熱させる解説、そして沢山のファンたち。
最近では若く才能溢れた棋士の誕生もあり、彼の伝説はますます盛り上がりをみせてくれることでしょう。
出典:エンタメニュ~~~ス.
10年間の試合の肩書きの半分近くを羽生さんが占めているという強さです。
将棋を全く知らない方でもいかに凄いことなのかがお察し頂けるかと思います。
よくアーティストのCDのオリコンチャート連続何位というのを耳にします。ファン以外にもこの曲を聴きたいと思って購入したり聴いたりする人が多くいるからこそ、その実績が生まれます。
羽生さんにも人間性に魅力があるというブランド価値を感じます。試合の独特な戦法である手の震えも、かなり特徴的です。
何か物を使って相手を惑わす訳でもなく、ごく自然に演じる点も将棋を扱えるメンタル的にも余裕を感じます。
相手からしたら、弱っていると同情を買うかもしくはこれは貰ったと気を抜くほうに意識が向くかもしれません。
本人にとっての焦りが表に出ることで、相手の心を動かせるのはむしろ強みであると感じます。
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羽生善治の全盛期はいつ?
まめなび!羽生善治の年収は7億円って本当!?全盛期の年収や生涯獲得賞金もまとめて調査!
しかし、全盛期といわれる平成時代・1995年には1億6597万円という驚異的な年収があったと発表されています。
当時の羽生善治さんは「羽生名人」の愛称で親しまれ、数々のメディアで取り上げられるほどの超人気棋士でした。
出典:マメナビより
知り合いがいない限り将棋界の年収や賞金はなかなか耳にすることが少ないと思います。
こちらのデータを見ると、一試合1000万単位でほとんどそれ以上の金額であることが分かります。
とんでもない数字ですよね。特に1995年には一億飛んだ額をたたき出しています。
一般人からすると宝くじで当たるかどうか考える額にしか思えないほどです。
その偉業があれば、スポンサーや企業が放っておくわけがありません。
こうして一気に上り調子になるのが、専門業の面白いところだと思います。
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羽生善治の伝説の数々
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ブラジルから王手飛車取り
羽生善治のエピソード100連発
史上三人目の中学生プロ棋士。
一億円プレーヤーにも関わらず電車通勤。
身に着けている腕時計は世界三大の時計メーカーの一つであるオーデマ・ピゲ。
あの加藤一二三と何時間も喋っていられる。
婚約する前は若い女性のおっかけが大勢いた。
寝癖がトレードマーク。
「カメラは意識していますか」との質問に「意識してたら寝癖なんかつけないです。」と回答。
これまでに26人しか受賞したことことがない国民栄誉賞を受賞している。
年収7億円説。
羽生は漫画になった。
趣味はチェス。
趣味のチェスでも日本一。
「無人島に持っていくなら?」の質問に「チェスセット」と回答。
長期休暇を使い、パリのチェス国際大会に出場。
英語でインタビューを受けても通訳無しで返答するぐらい英語がペラペラ。
数独を解いていた時に「頭の運動ですか?」と聞かれ、「手の運動です。」と答える羽生。
羽生の妻と娘が数独でどうしても解けない最難関レベルの問題あり、その時パリにいた羽生に電話して聞いたら「5分後に電話する」と言って電話を切って、3分後に回答が来た。
畠田理恵は羽生のことを当初「はにゅうさん」と呼んでいた。
羽生は畠田理恵との初デートで水族館に行き、自分の分のチケットだけを買い、そのまま入館。
畠田理恵が羽生の家に遊び行ったら「ちょっと待ってて」と言われ、羽生は隣の部屋に入っていき、結局そのまま3時間も待たされた。その部屋からはずっと将棋の駒音が聞こえていた。
畠田理恵にプロポーズ後、畠田家を訪れた羽生は相手のご両親をいきなり羽生睨み。
畠田理恵との結婚についてのインタビューで「2人共、有名人なので(外出を避けるため)事が進むのは早かったですね」とニヤリ。
羽生のスーツを買う時、妻が早くしないと「もういいよ、じゃあ理恵さんが買えば?」と意味不明なキレ方をする。
妻が親知らずを抜くと言った時、「(あなたは)歯を抜いた後、腫れても丸顔だから目立たないよ。」と謎の励まし。
羽生家ではウサギを飼っており、羽生は家族の誰もいない時を見計らって、ウサギを「かわいいねぇ~かわいいねぇ~」と愛撫。
ウサギのためにソファを捨てた。
とにかくウサギ愛がすごい。
男の子にアプローチを受けた娘に対して「そんな時はちゃんと「無理です!お断りします!」とハッキリ言わなきゃダメ!」と断ること前提の羽生。
自宅にいても外にいる時でも、突然将棋スイッチが入り、頭の中が将棋だけになり棋譜をブツブツ呟いている時がある。それを見て子供達は「お父さん、宇宙に行ってるね」と放置。
羽生はロングスリーパー。最長で26時間寝ていたことがある。妻は心配で、鼻の前にティッシュを当て、ちゃんと息をしているか確認した。
家のたこ焼き機でたこ焼きをクルクルするのが好き。
誹謗中傷について「妻が避雷針ですから。」と羽生。
娘達のために一時的に別居生活を送っていたら離婚説が浮上した。
コロナ禍でスマホのカメラ機能を覚えた羽生。
羽生が子供の時に作った詰将棋には飛車が3枚でてくる。
学校の給食で、羽生は牛乳は友達にあげ、パンも友達にあげ、おかずだけ食べていた。
子供の時、誘われた将棋大会を忘れて家族旅行に行っていた。
高校に進学したが、出席日数が足りずに卒業できなかった。
羽生の好きな言葉である「運命は勇者に微笑む」は自作。
対局後はいつも体重が2~3キロ落ちている。
プロ棋士であるにも関わらず27年間、段を名乗ったことがなかった。
羽生は七段と八段を名乗ったことがない。というかもう名乗ることはない。
テレビの人気番組でベトナム料理の「フォー」を「フー」と呼んでしまった。
テレビの企画の羽生だけ目隠し二面指しで圧勝(相手はアマ五段の森本レオと前田耕陽)
羽生の記憶力を試す企画で、棋譜を渡されると2分で全て覚え、初手から投了図までを将棋盤で再現してみせた。
松村邦洋に19枚落ち(王将一枚)で勝った。
妻の羽生理恵にも19枚落ち(王将一枚)で勝った。
恐怖の赤ヘル→鬼畜眼鏡→ウサギおじさん というすごいあだ名の経歴。
木村一基とのタイトル戦で勝ち、局後「(木村に)勝ちがあった」と指摘し、一番悔しい負けを味合わせる鬼畜っぷり。直後に木村は泣いた。
ニコニコ生放送の将棋解説で出演した羽生。対局者の丸山が「投了する・しない」をアンケートする鬼畜っぷり。
将棋のことを考えすぎて事故りそうになったことがあり、それ以来、車の運転はしないことにしている。
いろは坂事件以来、羽生は絶対に佐藤(康光)の車には乗らない。
「将棋は人生」と言っていたそれまでの棋士達とは違い「将棋はゲーム」と言い切る羽生。
師匠の命令で羽生は小学生名人にならなければ奨励会試験を受験することができなかった。
奨励会6級で入会した羽生はたった1年で初段になった。
奨励会時代、瞬く間に昇給昇段していたので「記録を取らずにプロになるつもりか!」と怒られた。
羽生が奨励会時代に取った数少ない記録の中にに伝説の真剣師小池重明の対局がある。
島研では負ければ罰金を支払うことになっており、12連勝すれば、その罰金を総取りできるという無謀なルールだったが、羽生がクリアしそうになって、急遽ルールが変更された。
NHK杯の羽生対加藤の伝説の5二銀では、解説者の米長曰く「加藤さんは30センチ飛び上がった。」
当時五段の羽生はNHK杯トーナメントで名人経験者4人に勝って優勝という漫画のようなことしてしまった。
解説者が「これは羽生さんの負けですね~」という局面から、羽生が相手を即詰み。
NHK杯で4年間負け無しだった頃がある。
相手の得意戦法を堂々と受けて立つ横綱相撲スタイル。
「羽生と対局する」がほとんどの棋士の目標の一つ。
対局相手を睨むことから「羽生睨み」と言われ、睨まれると相手は震え上がる。強すぎるため現在は封印中。
羽生の居飛車穴熊戦法は勝率9割を超えているため、やっぱり封印。
将棋ソフトボンクラーズの代指し候補に「羽生善治は?」と聞かれ、米長邦雄は「睨まれたら震えるから却下」と即答。
羽生睨みについて聞かれ、「ただ見ているだけ」と羽生。
小学生との100面指しは、計4時間で終わらせる。(一人2分半)
若い頃の羽生はタイトル戦の相手とは撮影であっても握手することを全力で拒否していた。
羽生六冠の時、七冠の挑戦に一度失敗しているが、その後、六冠全てを防衛して七冠に再挑戦し、見事羽生七冠となった。(羽生七冠誕生までの一年間がすごすぎる)
羽生七冠の時、NHK杯でも優勝している。
振り駒も強い。
タイトル戦の旅館で「加藤先生はここの滝を止められました」と珍エピソードを披露する女将に羽生はノータイムで「私も滝を止めてください。」とお願いする。
対局中にサインを求められた羽生は普通にサインしてあげた。
タイトルだけでなく上座も奪取した。(上座奪取事件)
将棋倶楽部24で初めてレイティング3000を達成した伝説のネット棋士”dcsyhi”は羽生説が濃厚。
名人戦七番勝負の最中に北京で将棋普及のため公演。(名人位は防衛)
多忙で週に対局が3局も4局もあった羽生はその週にチェスも指した。
決め手で指した(打った)駒が漫画のように光り輝くことがたびたびある。
羽生は羽生と対戦しなくていいからズルい。
対局に勝った後の羽生がコメント「つまらない将棋を指した。」
相手が悪手を指すと不機嫌になる。
将棋は最後に羽生が勝つゲーム。
小学生との100面指しで小学生の一人が二手指ししたことを発見しマジ切れ。
早めに投了した山崎にマジ切れ。
広瀬の魂を抜いた。
渡辺明は家で泣いた。
勝利を確信すると指が震える。
渡辺明は羽生の指が震えると大体投了する。
指が震えすぎて、仕方なく左手で指したことがある。
指の震えがひどくなってきて負けの将棋の時でも震えるようになった。
おやつにアイスクリームが出されたが、羽生は手を付けず長考していた。その時の対戦相手の深浦は羽生のアイスクリームがどんどん溶けていくのを見ながら「…この人には勝てない」と悟った。
その後、その溶け切ったアイスクリームを飲み干す羽生。
大和証券杯のネット将棋でマウスの操作ミスで時間切れとなった羽生「次回はマウスの練習をします」と猛反省。
一手詰めを見逃して負けたが、その後普通に感想戦を行う羽生。
羽生衰えた説(羽生二冠)
羽生衰えた説(竜王)
羽生衰えた説(NHK杯優勝)
まだ全盛期は来ていない。
ご精読ありがとうございました。
>「タイトル戦で羽生(善治)先生が溶けたアイスを飲んだ」という伝説がありますね。羽生先生がアイスクリームを注文したのですが、盤面に集中していた結果、届いたバニラアイスが溶けてしまった。それを羽生先生はお茶などのようにグッと飲んだのです
#アイスクリームは飲み物— tanigawa nisin🌻 (@twinforest) June 2, 2022
羽生善治九段の伝説の一つに「強い若手と戦うとき、最初は負けることが多い」というのがあります。相手の得意な形を避けず、正面から受け止めるからと。
そして相手を見切り、逆に若手が勝てなくなっていく…藤井二冠といえども、羽生伝説からは逃れられないのか?それとも…
— 白鳥士郎 (@nankagun) September 22, 2020
一言でいうと変わった方であると感じます。
羽生さん本人はとても真面目に答えているのだと思いますが、特徴的な言動が目立ちます。
何かを意図して発言しているようには思いません。ただワイドナショーやレポーター、記者の立場からすると、記事にするのが面白くなるタイプの方でしょう。
一つの事に没頭できる方のため、そのこだわりを譲らぬ姿勢がファンを飽きさせない、より虜にするのだと思います。
ファンの方が知り合いにこんな人が世の中にはいると話したとして、え?と思うことが多いと思います。
疑問よりも驚きが勝つユニークさがあります。
また決してネガティブな言動が少ないのも特徴です。
勝ち続ける人にはもちろんスキルやレベルも必要ですが、勝利への糸口を探す意味でも運を引き寄せることも必要です。
ポジティブで面白いのが羽生さんの人間性であると感じました。
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羽生善治の凄さとは?
羽生善治は将棋界だけではなく、チェス界にまで伝説を残します。
凄すぎるチェスにおいての羽生善治の伝説をご紹介します。
チェスをプレイし始めたのは七冠制覇前後の1996年頃、26才とかなり遅く、日本在住のフランス人チェス講師のジャック・ピノーに一から教わった。プレイといっても多忙のため月に1、2度の練習であった。将棋とチェスに関して羽生は「当初似ていると思っていたが、全然違う」と語った
将棋との混乱やチェスの開始時期が遅い事、月1、2度という僅かな練習にもかかわらず、2年後の1998年3月に全日本百傑戦で単独優勝、9月のジャパンオープンでは1局敗れたものの4者同率優勝した。
2007年5月の時点でレイティングは2404と日本国内1位、世界ランキングは2796位、アジア圏のランキングは260位、日本チェス協会の国内称号である段位は六段とした
出典:Wikipedia
将棋だけではなく、チェスで日本一まで取る羽生善治。
まさに生ける伝説ですね…!
将棋とチェスの共通点は各駒に別々の役割があり、その動かし方を考える上でもリーダー性が発揮されるゲームです。
駒の役割が違う2つのゲームでも、日本一の称号を得るとはかなりの戦略家であると分かります。
またアジアや世界のランキングにも上るレベルを持つ人です。興味を持ったらとことん貪欲に突き進めるのは羨ましい能力ですよね。
好きなことや得意なことをやっていたら、勝手に実績が付いていたということです。
絶対に一つのことだけという頭でいないところにもあると思います。
頭でっかちになっていても、客観的に見ることが出来ず自ら可能性を潰してしまうことも考えられます。
もしかしたら、今まで取り組んでいたことに似ているかもしれない、出来る事かもしれないと楽しい方向に歩みを進められます。
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羽生善治伝説のまとめ
今回はかなり濃い記事でした。成し遂げること一つとっても、簡単なことではありません。
羽生さんの素質もあれば、努力された部分も大きいと思います。
大変と思えることにも好きだから、楽しいからと思って進めるからこそ、実績が増えていくのだと思います。
また実績の数字を見ると、将棋を始めてから連続で獲ったようにも見えますが、その倍以上の失敗や挫折もあったことでしょう。
その経験があるから上り詰めた先は長く鋭いものになると分かりました。私達も自分にとって何か1つ強みであることを大切に、極める力を持っておきたいものです。
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