今回は斎藤佑樹の経歴から全盛期から引退までを解説していきます。
世代では知らない人はいないとも言える、斎藤佑樹がなぜダメになったと言われるのか?
全盛期はどれほど凄かったのか?や、当時の斉藤に対して球界の著名人からの評価も紹介しながら斉藤の野球人生を見ていきたいと思います。
まずは、経歴から
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1.「斎藤佑樹の経歴」
最初に斎藤佑樹の経歴を見ていきましょう。
斎藤佑樹は1988年6月6日、群馬県太田市に生まれました。後に
「ハンカチ王子」
と呼ばれるようになります。
小学生時代は地元学童野球チーム「生品チャンピオンズ」で主将を務めています。小学生で主将を務めるほどですから、基本的には人を惹きつける魅力や周囲を引っ張る才能があったのでしょう。
中学生時代は軟式野球部に所属しておりました。この頃、群馬県大会では準優勝、関東大会ベスト8に入るなどして頭角を現していたようです。
高校時代は早稲田実業高校に進学しました。高校生時代は、より一層野球に励んだようです。負けたり、勝ったりを繰り返しながら経験を積みました。斉藤の活躍によって早稲田実業高校は甲子園で初優勝を果たします。
この頃に、「ハンカチ王子」と呼ばれ、注目されるようになりました。
メディアで「ハンカチ王子」の文字を見ない日はありませんでしたし、斎藤佑樹の姿もメディアで毎日見かけていたことを記憶しています。おそらく彼の全盛期は高校時代でしょう。
その後、2007年に早稲田大学に進学して、野球部に入ります。背番号は16。
大学での彼は、やはり殆んど負け知らずで準優勝や優勝などの輝かしい成績を残しました。しかしながら、高校時代よりかは勢いは失われたようです。
なぜ、高校時代の失われたか?ということですが、1つは高校→プロに行かなかったことと言われています。
斎藤佑樹引退したんだ
あのまま高校の時にそのままプロに行けばよかったのになと思う
なぜ大学にいったんだろう— ふ〜さん◢⁴⁶ (@FuChannogi46) October 3, 2021
プロに行く最大のメリットは、一流の指導を受け、一流のケアを受け、一流の中で学ぶことが出来ることですね。
斎藤佑樹と同じように、高校時代活躍からプロ入りした有名選手は以下
松坂大輔は、横浜高校から西武に入団。1年目から3年連続最多勝、4年で51勝を記録。
藤浪晋太郎は阪神入団1年目→3年連続2桁勝利、4年で42勝。
田中将大は楽天に入団後、4年で46勝。
他にも、1年目はプロの高い壁に通用しなかったものの、2年目から活躍した選手として
ヤクルト:奥川恭伸1年目:1試合のみ、2年目は9勝。
西武:涌井秀章1勝、2年目12勝
広島:前田健太1軍登板なし、9勝
楽天:松井裕樹4勝→3勝33セーブ
オリックス:山本由伸1勝→4勝32ホールド
このようにプロ野球人生の中で重要なのが20歳までにプロの環境に身を置くことがいかに重要かわかりますね。
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2.「斎藤佑樹はなぜダメになったのか?」
https://www.youtube.com/
この項目においては斎藤佑樹がなぜダメになってしまったのか?について見ていきたいと思います。
結論から書きますと、彼は肩を壊してしまった為にダメになってしまったのだと思います。あまりにも人気があり、野球の試合なども重なっていた為、「投げ続ける運命」にあったのです。
意外にも野球選手は半年や1年ほどは休息をして、体を労わるのですが、彼の場合は一切休息せずに野球に打ち込んでいた為に肩をやっつけてしまったのでしょう。
中には、「彼は甘い」という声や「甘いからだ」という声もあるようです。
有言不実行だから、周囲からの信頼を失いダメになってしまったのではないか?という意見や声もあるにはあります。
身体が小さく高校生の時からフォームに無理があり、股関節から肩の関節唇の故障でスピードが出なくなったのかな…
腕と胴体のつなぎ目の関節唇がはがれると、あの斉藤和巳も復活できなかった…
お疲れ様
斎藤佑樹はなぜダメになった?理由は右肩関節唇の怪我が致命傷だった! https://t.co/MNzjxWpdY3— pata (@ib_pata) October 2, 2021
中には「いやいやフル回転し過ぎでしょう」という声や、「斎藤の指導者が無能だったんだろうな。斉藤は才能あるよ」という意見もあるのです。
中には「とび抜けた才能もないのに、練習嫌いなんだよね」という声や「練習嫌いならプロとしては続かないだろう」という意見もありました。
斎藤佑樹がダメになった理由としては、実力はそこそこあるものの、華がなかったという感じもありますね。
ただ、やはり一番の理由は、上述のように早くプロに入らなかったことでしょう。
フォームに無理があったと言われていることや、体格も小さいことから、確実にマー君やダルビッシュのような恵まれた体格でない人間が、体格の優る人間の中で生き残るには、いかに小さな体を大切に使うかと思われます。
プロに入り適切な体の使い方やケアを受けることが、斉藤のプロで通用する唯一の道であったのかもしれません。
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3.「斎藤佑樹はなぜクビにならなかったのか?」
斎藤佑樹がクビにならなかった理由としては、基本的に商用価値が高い選手なので、安い年俸で広告塔として使えるという意見がありました。
結局、「お金になる選手だからクビにしたくない」というところでしょうか。ここでも「ハンカチ王子」の愛称や知名度が非常に凄いことが分かりますね。
また、野球をしたりすると彼の場合は必ずニュースになったり、記事になったりして話題性には事欠きません。グッズでも黒字になりますので、斎藤佑樹は手放したくない選手だったのです。
中には栗山監督がクビにしないように説得しているというものもありました。
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4.「斎藤佑樹の全盛期はすごかった?」
最後に斎藤佑樹の全盛期について触れていきます。
彼の全盛期については結論から書きますと、高校時代の頃のように思えます。
やはり早稲田実業高校に進学して田中将大の駒大苫小牧と引き分け再試合という2日間の大激闘を繰り広げたのは、記憶している方も多いでしょう。
マー君、最後に三振でなぜ笑顔 駒苫×早実の熱闘2日間
https://t.co/94t4LDtHZQ田中将大と斎藤佑樹の投げ合いは、幕切れも劇的でした。
「燃える思いの静かなエース、斎藤佑樹が『都の名門』の90年越しの夢をかなえました!早稲田実業、初優勝!」
ポッドキャストであの名実況をお聞き頂けます。 pic.twitter.com/MU7aOINKYt— 朝日新聞デジタル (@asahicom) August 27, 2020
結果として、4-3で勝利して、見事優勝を果たしているのです。
この頃に「ハンカチ王子」のニックネームで呼ばれるようになりました。
斎藤佑樹全盛期の名スピーチ
いろんな人から『斎藤は何かを持っている』と言われ続けてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは、仲間です。チャンスを回してくれる仲間がいて、こうやって応援してくれる仲間がいて、すばらしいライバルもいて、ここまで成長できたと思っています。
— 侍(318) (@ZanEngineer) October 1, 2021
斎藤佑樹の全盛期はやはり高校時代やったな🤔
— ホークス命 (@hawksinochi08) August 12, 2020
斎藤佑樹の全盛期見ると悲しくなる
— アヤト (@jia0804ato) August 24, 2021
やはり、斉藤の全盛期は高校時代であったと言わざる得ないのが現状ですね。
しかし、今年34歳を迎えますが、人生としてはまだまだこれからなので、今後野球以外で何か輝かしい功績を残す可能性もありますね。
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5.「斎藤佑樹のまとめ」
今回は、斎藤佑樹の紹介でした。
高校野球時代を知っている人からすると、プロでの斉藤の戦歴は決して喜べるものではなかったですね。
ダメだダメだと言われても、プロでい続けたメンタルはやはり尊敬に値するものではないでしょうか?
仮に、お金になるからという理由だけで、プロに残されていると分かっていても登板し続けることが出来るメンタルはやはりプロだと思います。
私も、『引退しないのかな?』と思いながら毎年『今年はもしかしたら行けるのでは?』『過去の栄光があるからいつか、復活するのでは?』
そう何度も期待していました。
結果は、厳しい現実でしたがそれでも一握りのプロになった斉藤を誰も攻めることはできないでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。
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