若い頃は不良?尾藤イサオは何歳の頃に病気になった?

今回は、何歳になっても変わらない若さを保っている、尾藤イサオをについて紹介します!

尾藤といえば『あしたのジョー』が代名詞にもなっていますよね、尾藤が若い頃に『明日のジョー』のオーデイションを受けた時、あるトラブルによって歌詞の一部が変更されるという逸話がありますが、いったい何が起きたのでしょうか?

また、持病の黄斑変性症という病気はいったいどのような病気なのかについても紹介致します。

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尾藤イサオのプロフィール

名前: 尾藤 イサオ(びとう イサオ)
誕生日: 1943年11月22日
血液型: A型
出身地: 東京都台東区
職業: 歌手・ジャグラー・俳優・声優
身長 168cm、体重55kg
事務所 ケーワン・プロモーション
Aくん
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芸能一家の尾藤家

尾藤の家族は、芸能一家とも言われています。

父親:百面相や形態模写を得意とした落語家で寄席芸人の3代目松柳亭鶴枝

母親:芸人であった(詳細不明)

長女:歌手の尾藤桃子

このように両親も娘も芸能活動をしています。

百面相って聞いたことがあるけど、どんなもの?

という人のために

百面相とは?

顔の表情をいろいろに変えること。また特に、手ぬぐいやつけひげなどの簡単な小道具を用いて、いろいろと顔つきを変えてみせる寄席芸。

出典:goo辞書

https://www.youtube.com/

芸能家族の元に生まれた、尾藤も当然、芸を磨くことになります。

1953年、尾藤が10歳の時に曲芸師・鏡味小鉄の内弟子となり鏡味鉄太郎を名乗って、幼少時代は太神楽の曲芸師として活躍したそうです。

尾藤自身は、父親と同じ百面相ではなく曲芸を身につけています。

尾藤をご存知の方であれば、尾藤=ジャグリングの達人というイメージが強いのではないでしょうか?

曲芸を学んだ幼少期ですが、高校生の頃には『ロカビリー』などの音楽に興味を持ったそうです。

ロカビリーの代表といえばやはり『エルヴィス・プレスリー』ですよね。

そんな、感性豊かな若い頃にロカビリーの影響を受けたことで、尾藤が18歳の1961年から翌1962年5月まで、アメリカのハリウッドに渡り勉強しています。

凄い行動力ですよね、当時は当然Googleなんてなく、アメリカにも今ほど日本人はいない時代に10代で渡米というのは簡単なことではなかったと思います。

余談ですが、人の感性は10代までしか発達しないとも言われています、そんな感受性豊かな若い時にアメリカに渡り学ぶことは人生に多いてもとても重要なことだと思います。

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尾藤イサオの若い頃の活動は?

Aくん
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尾藤イサオの若い頃は?

尾藤は、渡米後、翌年:1963年の「新春日劇ウエスタンカーニバル」に初出演します。

その後「日劇ウエスタンカーニバル」に連続出演しています。

元々1962年に「東芝レコード」に内定していました。

しかし、初めてのレコードが発売となったのは1964年2月と内定から少し時間があります。

代表曲は?

日本に帰国してから2年後の1964年7月、アニマルズのカヴァー『悲しき願い』(原題 Don’t Let Me Be Misunderstood)発売しました。

これが大ヒットしたことで尾藤の代表作になりました。

https://www.youtube.com/

更に特筆すべきは、1966年、ビートルズ日本公演の前座として内田裕也、ブルージーンズ、ブルー・コメッツ等と出演し、合同演奏を行ったことではないでしょうか?

https://www.youtube.com/

このように、尾藤の若い頃はまさに『ロックンロール』という感じでした。

『あしたのジョー』については下述で詳しく紹介していきます。

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尾藤イサオの病気:黄斑変性症は何歳の時?

Aくん
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尾藤イサオが加齢黄斑変性を患ったのはいつ?

尾藤が加齢黄斑変性を患ったのは、30代後半と言われています。

気づいたのは、ある日家族で食事をしていた時に、ものが見えにくいことに気づいたことで病院にいったそうです。

この時に治療方法を探すため、全国の病院を渡り歩いたそうです。

しかし、完治することは難しいと言われてしまいます。

因みに加齢黄斑変性については以下

加齢黄斑変性とは、モノを見るときに重要なはたらきをする黄斑という組織が、加齢とともにダメージを受けて変化し、視力の低下を引き起こす病気のことです。

私たちはモノを見るときに、目の中に入ってきた光を網膜という組織で刺激として受け取り、その信号を脳に送るために視神経に伝達します。

その網膜の中心部分が黄斑です。黄斑が変化すると、モノがゆがんで見える、視野の中心が暗くなる・欠ける、視力が低下するなどの症状が出ます。

加齢黄斑変性は、糖尿病網膜症、緑内障とともに、失明を引き起こす病気として注意が必要です。

出典:参天製薬公式ホームページ

これによりドラマの撮影では、監督やスタッフに症状を伝えながら仕事をしていたそうです。

また、近所の方とすれ違っても気づくことが出来ないことから、裏道を通って会わないようにするなどかなり苦労されています。

では、今までの曲芸やジャグリングができなくなったのか?

というところですが、2018年の輝子の部屋に出演した際に

見事なジャグリングを披露しました。

これについて尾藤は、『たとえ見えなくても体で覚えている』とのことです。

まさに、達人とはこのことですね。

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尾藤イサオと『明日のジョー』そしてルルルについて

https://www.youtube.com/

Aくん
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ルルルの部分の意外な真実!?

尾藤は、当時『少年マガジン』に連載中であった『あしたのジョー』の主題歌の話があった時はとても嬉しかったと話されています。

そして、作曲家の八木正生の事務所で歌った時に事件は起きました。

かなり感情移入していた尾藤が、途中で歌詞を忘れてしまったそうです。

そして、その間を埋めるために出てきた言葉が

『ルルルー』

となんとか誤魔化したそうです。

しかし、、、

それを聞いた、八木は

『それだ!

それでいこう!!』

となったことで、歌詞が『ルルル』となりました。

今となっては、『ルルル』という部分が定着していますが、もしあの時、尾藤が覚えていたら『ルルル』ではなく、そこに歌詞があったということですよね。

いったいどんな歌詞だったのか気になりますね。

調べたのですが、元の歌詞は見つけることが出来ませんでした。

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尾藤イサオのまとめ

今回は、尾藤イサオの紹介でした。

いつまでも若くてかっこいい尾藤の若さの秘訣は

毎日1時間のウォーキングやストレッチ、腹筋やダンベルでのトレーニングなど体のメンテナンスはかなりしているようです。

通りでいつまでも若々しいわけですね。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

では、また次の記事でお会いしましょう。

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