『生きてる?病気?』藤竜也への石原裕次郎の行動に涙が止まらない!

今回は、ダンディーすぎる俳優としても有名な『藤竜也』も紹介!

最近メディアに出ることも少なくなり、生きているのか?それとも病気なのか?とも噂されています。

そのことについて調べてみました。

また、当時若手売り出し中の俳優であった藤竜也と人気女優の格差婚の二人をすkったのは、あの石原裕次郎だったと言われています。

男気あふれる、石原裕次郎の行動に涙が止まらない!

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藤竜也のプロフィール

名前: 藤 竜也(ふじ たつや)

本名:伊藤 龍也

誕生日: 1941年8月27日
血液型: O型
出身地: 北京生まれ、神奈川県育ち
職業: 俳優
配偶者: 芦川いづみ
身長 173cm
事務所 藤竜也エージェンシー
Aくん
Aくん
俳優:藤竜也のデビューまで

ふじの幼少期は戦後の日本であったっことから、とても苦労が多かったようです。

父親の転勤で両親は北京に海外赴任していました。

その時に藤は生まれています。

そして、第二次世界大戦により、父親は現地で召集されることになり、そのまま帰らぬ人となりました。

その後、母と弟の三人で福井県に引き上げた後、父親の実家にある横浜を頼ったそうですが、そこで一家離散になったそうです。

藤は伊豆市の孤児院に預けられることになったようですが、なんと

3日で脱走

したそうです。

(なんともワンパクな子供時代ですね)

小学校時代は葉山町あたりで過ごしていたようです。

芸能界へのきっかけは、大学生時代に銀座の日劇前でデートの待ち合わせ中にスカウトされたことで日活に入社すルコとになりました。

(日活に所属が決まったことで日本大学芸術学部演劇学科中退しています)

映画デビューは1962年『望郷の海』です。

しかし、この時は、エキストラに近い役も多かったようです。

中々、ブレイクできない歯痒さから藤は当時、人気の演出監督でもあった鈴木清順の元を訪ね、出演をアピールしたようです。

しかし、その行動力がこの時は報われることもなく、監督からは

「君には和田浩治のような育ちの良さも何もない」

という厳しい言葉でした。

本人曰く『この時の言葉が俳優としての転機となった』とBS朝日のインタビューにて話しているようです。

また、当時の藤を知っていた方からは

スーパースターにはならないが、必ずいい役者になると思った

出典:舛田利雄の著書

『必ずものになる』

出典:村川透の言葉

その後、その言葉通りに、日活の路線がニューアクションにシフトしたことにより

長谷部安春監督作品や澤田幸弘監督作品などで準主役を務めるようになりました。

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藤竜也が『生きている?』と言われる理由はなぜ?

Aくん
Aくん
なぜそのような噂が?

藤の直近の仕事は、

第43回創作テレビドラマ大賞 ゴールド!(2020年3月27日、NHK-G) – 柴田政継

以降はメディアに出ていないようです。

その前も

やすらぎの刻〜道(2019年 – 2020年) ‐ 高井秀次/根来鉄兵(二役)

ぐらいであることからファンの方が心配されてインターネットで多く検索されたからではないでしょうか?

押しも押されぬほど活躍した名俳優が、段々活動が減ったことによりこのような話が出たのだと思われます。

元々出演回数が少ない役者さんなら『あの人今どうしているのかな?』ぐらいかもしれませんが

藤ほどのスターになると、メディアの活動が減るとそれだけ多くの方が心配されるのだと思います。

ただ、藤も現在『80歳』であることから、無理な仕事はせず、自分の出来るペースで仕事をされているのだと思います。

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藤竜也は病気?

藤竜也は

Aくん
Aくん
藤竜也は病気なのか?

これについて調べたところ、驚くべき事実を見つけました。

それは、

藤は超

『健康』

これは、365collegeのインタビューで本人が答えていました。

以下一文抜粋

若いころから体を鍛えることが好きでした。

筋肉トレーニングが大好きで、現在もスポーツクラブに週に3~4日は通っています。

若いころのようにハードなトレーニングはあまりしません。

腹筋や背筋運動、ストレッチがメインです。ただし、ウォーキングだけは別です。

真冬でも真夏でも、スポーツクラブの近くにある公園を2時間ほどかけて、約11㌔㍍を歩きます。

ウォーキングは同年代の友達といっしょにすることも多く、仲間との会話も楽しんでいます。

当然、撮影場所はほんとうにオオカミが出てもおかしくないと思えるような山奥。

山の急斜面での撮影が1日続いた日は、撮影終了後に足がいうことをきかないほど疲労し、下山のさいは近くの木を手でつかみながら、何とか宿までたどりつくような状態でした。

厳しい撮影だったのは間違いないのですが、若いころはこんなに疲れなかっただろうと思わずにはいられません。

睡眠は毎日きっちり8時間取るようにしています。

19時~20時までには寝て、朝の3時半~4時ごろ、遅くても5時半までには起きます。

食事は1日2回。

夕食は晩酌のおつまみ程度ですが、朝はしっかり食べるようにしています。

間食はほとんどしません。

料理が好きなこともあり、撮影で家を離れたときは自分で食事を作ることも多いです。

『東の狼』の撮影中も毎朝欠かさず、同じ宿に泊まっていたスタッフの分も含め、朝食を手作りしていました。

出典:365college

このように超健康体のようです。

恐らく最近特に活動が減少しているのは、世間での活動自粛の影響も配慮し現在仕事を減らされているのかもしれません。

このように、藤は病気どころか、超健康的な生活を送り、健康な体を維持しているようです。

因みに体を鍛える走りになった俳優として藤は言われるようですが、本人曰く

『自分より先駆者はいた』と話していますが、そのように言われることに関しては嬉しく思っているようです。

また、体を鍛え始めたきっかけは当時毎日仕事があったわけではなく、暇つぶしに体を鍛えたことからそれが習慣になったようです。

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藤竜也の結婚のために動いた石原裕次郎の男気は触れるエピソード(二人の馴れ初め)

藤竜也と芦川いづみが結婚した1968年、藤はまだ駆け出しの俳優でした。

そのことからも格差婚と言われ世間も驚いた出来事でした。

この結婚に関しては、二人が所属していた日活からも猛反対されたそうです。

しかし、二人の思いは変わらず、結婚を押し切りました。

このことで、芸能界から干されてしまうかもしれない、と話が出たほどだったようです。

この時に二人の中を取り持ったのがこの方

『石原裕次郎』

二人のために所属事務所に口利きをしたそうです。

更に当時お金のなかった藤のためにタキシードも用意したそうです。

役柄だけではなく、石原裕次郎という人間の器の大きさが感じられるエピソードですね。

今でも多くの人から尊敬されるのはこういった背景があるからでしょう。

石原裕次郎の行動により無事に結婚できた二人ですが。

藤いわく『石原裕次郎さんがいなければきっと結婚は出来なかった』と話しています。

そんな二人の出会いは過去の芦川いづみの記事で紹介しています。

『美人過ぎる若い頃』芦川いづみの最近の活動は?和製ヘップバーン

因みに藤はそこから努力を重ね、8年後の1976年の映画『愛のコリーダ』で才能を開花させることになりました。

この時に藤は『自分と結婚したことで芦川が悪く言われないように気を引き締めていた』と話しています。

きっと芦川もそんな藤の真摯な姿勢に惹かれて結婚を決めたんでしょうね。

また、愛妻家であるようで、その後、芦川はメディアには一切出ることはなく、一般人として生活しています。

きっと、藤の人柄に惚れたことで芸能界への未練なんて一切なくなったんでしょう。

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藤竜也のまとめ

https://www.youtube.com/

今回は、昭和の名俳優、藤竜也の紹介でした。

役柄だけではなく、一人の人間としてもカッコよく、ダンディーすぎると言われるのも納得がいきますね。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

では、また次の記事でお会いしましょう。

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