今回は、今尚多くの研究者やオカルト好きの方が愛してやまない、『ツタンカーメン』の謎について紹介します。
そもそも、ツタンカーメンとは何故こんなにも有名なのでしょうか?
また、現在は顔や骨格の復元もされているようです。
ただ、現代人とは違う点やまた一族により先天的な病に悩まされてもいたようです。
今回は、そんな多くの謎に秘められている『ツタンカーメン』がなぜ人々をこんなに魅了するのかについて調査しました。
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ツタンカーメンのプロフィール
名前: | ツタンカーメン
Tutankhamun トゥトアンクアメン(正式な発音) |
誕生日: | 紀元前1341年頃 – 紀元前1323年頃
没年齢:18〜19歳 |
血液型: | 不明 |
出身地: | エジプト |
職業: | エジプト最後の直系王族 |
即位: | 8〜9歳頃 |
身長 | 推定:168cm |
父親 | アクエンアテン |

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ツタンカーメンは『なぜ有名?』
https://www.youtube.com/

ツタンカーメンは、エジプト新王国時代の第18王朝末期にエジプトを支配した最後の直系王族です。
若くして亡くなってしまった、少年王でした。
埋葬品などが、ほとんど完全な形で出土された王としてエジプトファラオの中で最も人々に親しまれています。
ツタンカーメンは元々は全く知られていなかった |
当然、年齢からもわかるように在位期間が短かったツタンカーメンです。
また、後世の王名表からも名前が削除されていたことで人々に知られていませんでした。
有名になったきっかけ:1 |
カーナーヴォン卿による支援援助で行われた発掘で、ツタンカーメンはほぼ無傷の状態で発見されました。
その際、5000点以上の遺物を発見したことで、人々の関心は古代エジプトに向けられることになりました。
ファラオの呪い |
これは、有名な話ですね。
ツタンカーメンの発掘に関わった人々が不運な死を遂げたことで『ファラオの呪い』と呼ばれるようになりました。
1922年エジプトでイギリス調査隊がエジプト王家の谷でツタンカーメンの発見
しかし23人中22人が謎の死でファラオの呪いと言われる
有名な話ですよね…….。実は同じことが日本のある地でもありました。
今晩美味しい酒でも飲もうかな😄
— いーぐる (@U8YH99bGG2GwCJK) May 7, 2019
ツタンカーメン、ファラオの呪いによって有名になってしまって哲学に雛形を宿してしまったワケだけど、じゃあそもそもなんでファラオの中で一番綺麗に埋葬品が遺ってたかって言うと
— 重石塚 竜胆 (@Rinndour) February 26, 2020
このように『ファラオの呪い』が、ツタンカーメンを有名にした大きな理由であると思われます。
特にオカルトが好きな人たちからは、人気を集めることになりました。
ツタンカーメンが出土後は多くの国の美術館に貸し出され日本での展示もされています。
私も、ツタンカーメンが見たくて大英博物館に行った時に『ツタンカーメン現在出張中』ということで見ることができなかった、苦い思い出があります。
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ツタンカーメンのファラオの呪い
ファラオ呪いとは? |
上述のようにツタンカーメンの発掘に関わった人々が相次いで突然死したことで、『ファラオの呪い』と呼ばれるようになります。
1人目:カーナーヴォン卿 |
原因:敗血症
死亡時:発掘後6週間後
敗血症の原因は髭剃り時に蚊に刺されたことが原因
2人目:サー・ブルース・インガム |
原因:洪水による事故死
死亡時:不明
火災で燃えた家の修繕中の洪水に巻き込まれ死亡
3人目:ジョージ・ジョイ・グールド |
原因:不明
死亡時:1923年、ツタンカーメンの墓に訪れた数ヶ月後に死亡
墓に訪れたあと体調不良になったようですが、その原因は明かされていません。
また、そそまま回復することなく亡くなられたようです。
4人目オーブリー・ハーバード |
原因:敗血症
死亡時:兄(カーナーヴォン卿)死後5ヶ月後
カーナヴォン卿の異母兄弟というだけで、ツタンカーメン王の呪いを受けたと言われていた人物です。
オーブリーは、目に変性疾患をもって生まれ、晩年はほとんど盲目だったそうです。
医師に腐った歯が目の疾患の原因だと言われて、歯をひとつ残らず抜いたが効果はなかっありませんでした。
この手術が原因で、呪われていたであろう兄の死のちょうど5ヶ月後に、敗血症で亡くなりました。
5人目:ヒュー・G・イブリン・ホワイト |
原因:自殺
死亡時:不明
イギリス人考古学者。ツタンカーメン王の墓を訪れたことがあり、現場でなんらかの接点があったとも言われています。
1924年までに、発掘にたずさわった人間が次々死んでいくのを見て、自殺しました。
死の前に、自身の血と思われるもので次のような言葉を遺しています。
『わたしを無理やり
消し去ろうとしている
呪いの力に負けた』
6人目:アーロン・エンバー |
原因:火災事故
死亡時:1926年
ツタンカーメン王の墓が開けられたときに現場に立ち会っていた者の多くが友人であったようです。
自宅でパーティーを主催した後に自宅が焼け落ちています。
エンバーは当初は無事に脱出していますが。その後、論文を取りに戻ったことで亡くなりました。
因みにこの時のタイトルは『エジプト死者の書』
『ファラオの呪い』で亡くなったと言われている、6名の紹介でした。
実際は、関係者23名中21名が亡くなったとも言われています。
果たしてこれは本当に『ファラオの呪い』だったのか?
それともただの事故であったのか?
どう捉えるかは、皆様次第です。
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ツタンカーメンの顔は復元された?

上記の画像のように2度、ツタンカーメンの顔の復元されています。
また、他の画像でも同じような特徴として、中性的な顔立ちをしています。
また頭の形が現代の人間とは少し違い
- 頭のハチが張っている
- 頭の後頭部が大きく出ている
このように現代人と大きく違ったようです。
ただ、下述でも記載しますが、家系の歪な交配によりこのような形状になったのかもしれません。
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ツタンカーメンは子供だった?

ツタンカーメンは8歳から9歳の時に、「神の父(it netjer)」の称号を持つ宰相アイと将軍ホルエムヘブの下で、王位についています。
また、10代後半出ねくなっていることから、現在の成人前に生涯を終えています。
ツタンカーメンが亡くなったことに関しては、歴史上では色々な憶測がありました。
当初は、『暗殺説』『馬車からの落馬説』などがありましたが、2014年ごろの研究からはこのような説ではなかった事がわかっています。
では、どのような原因があったのか?
インペリアル・カレッジ・ロンドンのがん研究科・外科のフタン・アシュラフィアン氏は
ハフポストUS版に対して「古代エジプト時代のレリーフや彫刻に残された史料によると、 (男系の先祖の) 何人かは、胸や尻が大きくなる
『女性化』に苦しんだほか、ツタンカーメンの祖先は神経症状に悩まされていたようです」と述べた。
「これは、容姿が女性化するほどホルモンバランスが崩れ、死因が遺伝的なものだった可能性があり、そして脚の怪我も先天的な病気から可能性が大きくなりました」
出典:NEWS2014年記事
この説が現在では有力のようです。
では、なぜこのような症状にツタンカーメンは悩まされていたのか?
それは
『近親婚』
が理由であったようです。
一番初めの動画をご覧いただいた方は理解されていると思いますが、
ツタンカーメンの家系図はとても複雑な状態になっています。
現在でも、近親婚が禁止されている理由の原因がこのような状態になるからです。
実際、ツタンカーメンは最後の直系王朝と言われる理由が
ツタンカーメンで家系が耐えています。
では、ツタンカーメンに子供ができなかったのか?
というところですが、子供はいたようです。
ただ、記録に残されているものでは、2人子供が確認されています。
一人は妊娠5~6ヶ月の早産
もう一人は妊娠9ヶ月の臨月
で生まれたことが明らかになっています。
どちらも胎児の状態でミイラとして発見されているため、ここで直系の系統は途切れたとされています。
このように、ツタンカーメンは一族の血の濃さによって幼くして命を絶つことになったのかもしれません。
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ツタンカーメンのまとめ
今回は、謎大きエジプト最後の直系の王族であった『ツタンカーメン』の紹介でした。
やはりツタンカーメンといえば『ファラオの呪い』ではないでしょうか?
いくら、歴史のためとはいえ、、、
死後も墓から掘り起こされ、見せ物にされていることを考えると
『ファラオの呪い』はあながち否定できないことかもしれませんね。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
では、また次の記事でお会いしましょう。
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