わかりやすく⇨ミャンマー軍は何がしたい?スー・チーさん逮捕はなぜ?

今回世界情勢『ミャンマー』の問題についてわかりやすく解説します。

また、おさらいとしてなぜ、スー・チーさんは逮捕されてしまったのか?

他にも結局、ミャンマー軍は何がしたいのか??

についてもお伝えしていきます。

最近、世界の均衡が壊されようとしていますね。

1945年の第二次世界大戦が終戦してから、約76年が経過しました。

戦争の悲惨さや醜さを知る人が減ってきたことで、また歴史は繰り返されるのではないかと感じざる終えません。

中国⇨香港、台湾

ロシア→ウクライナ

アフガニスタン→タリバンの復権

など、世界的にも最近は穏やかではなくなってきているのは間違いないと思います。

それでは、まずミャンマーの説明から

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ミャンマーってどんな国?

ミャンマーは30年前は『ビルマ』と呼ばれている国です。

『ビルマの竪琴』は耳にしたことがある方は多いと思います。

https://www.youtube.com/

Aくん
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ミャンマー建国まで

ビルマは元々、多くの他民族国家であり、王朝が何度も変わることを繰り返してきた国です。

1800年ごろから、

コンバウン朝ビルマはインド帝国(イギリス領)と衝突するようになっていました。

結果的には、イギリスとの戦争になり敗戦したことで、インド帝国に併合され、イギリスの植民地になりました。

Aくん
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第二次世界大戦勃発

第二次世界大戦が勃発したことで、日本はイギリス、アメリカと戦争することになりました。

当時の、大日本帝国はアジア圏の掌握のために躍起になっていました。

因みにどのくらい広かったかというとこのぐらい侵攻していました。

実際、欧米諸国の植民地政策の侵攻とは違ったものと話されることもありますが。

結果として、日本は敗戦してしまったので、言われたい放題なのが現状ですね。

ただ、アジアの国によっては、欧米の植民地からの開放のきっかけになったとの話があるのも事実ですね。

少し、話がそれましたが、そんな日本が侵攻している時に

『これはチャンスだ!!』

と思った方がいました。

それが、アウンサンさん『アウンサン・スー・チーの父親』です。

アウンサンは、『ビルマ建国の父』とも言われている人物です。

日本との共闘によりイギリス軍を撤退させることに成功した、ビルマは

1943年に

『ビルマ国』として独立することに成功します。

しかし、、、

日本の影響下にあることに納得のいかなかった

アウンサンや他の偉い人は

『納得がいかない』

と考えるようになりました

そして、日本がイギリス軍に大敗したことで

『ビルマ国民義勇軍』は日本を見限り

また、元々の支配国であったイギリスと協力することで

『日本軍』と『ビルマ国政府』を打倒することになりました。

『独立か!?』

と思ったところ、、、

再度イギリスの支配下に置かれることになりました。

そのまま、しばらくは再度支配下に置かれることになったビルマですが

状況が変わったのが、1948年

戦後の植民地処理によって、『ビルマ連邦』として念願の独立を果たすことになりました。

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念願のビルマ(ミャンマー)独立まで

Aくん
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念願の独立から、ビルマがミャンマーになるまで

上記のように、何度も独立を目指したミャンマーがようやく独立できたのが1948年でした。

念願の独立であったことで、幸先が良いのかと思うところですが、、

全く逆の結果でした。

元々、多民族国家であり、何度も王朝が変わることを繰り返してきた『ビルマ』です。

結果、各地で内戦が起き続ける状態になりました。

当然、それを鎮圧するために動いたのが

『ビルマ国軍部』

でした。

当然、軍部が力を持つようになり、1962年

軍の最高指導者、『ネウィン将軍』がクーデターを起こすことになります。

このクーデターがきっかけで軍部が大きな力を持つようになり、『軍政』の国へと進んでいくことになりました。

そのまま、20年以上の間

『ネウィン独裁政権』が続くことになります。

しかし、その政策は『鎖国的』『社会主義』であり、国の発展には程遠いものになりました。

同時期には、『タイ』『マレーシア』が加速的な発展を遂げる中、置いていかれることになります。

その結果、アフリカの国と同じような最貧国となりました。

当然、国民の不満感情は高まり

『民主化』を求め運動が始まります。

その時に、『建国の父』の娘であった

アウン=サン=スーチーが担ぎ出されることになりました。

ただ、アウン=サン=スーチーは政治家ではありませんでしたが、民衆からの指示は強く

『民主化の象徴的な存在』

となっていきました。

強まる民主化により

『ネウィン政権』を退かせることに成功したビルマですが。

、、、、

結局軍部によるクーデターが起きたことで

『新しい軍政が始まる!』

結果になりました。

(軍部強し)

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アウン=サン=スーチーの監禁とミャンマー建国

Aくん
Aくん
軍部の暴挙が止まることを知らない

民主化の象徴とも言えるアウン=サン=スーチーですが、新しい軍部に変わった時から、長期間の自宅軟禁状態に陥ることになりました。

(この時にビルマ⇨ミャンマーに国名が変更されています)

しかし当然この軍部の対応に

(民主化の弾圧、スーチー氏の軟禁)

には国際社会から、厳しい批判を受けることになりました。

(当然ですね)

スーチー氏は、1991年に

『ノーベル平和賞』を受賞していることから、世界的にも有名な方です。

そのことから、政権側は人権侵害と批判され

欧米から経済制裁を受けることとなりました。

当然、経済制裁を受けたことにより、経済の発展がこれまで以上に鈍化したことで、少しずつ民主化の動きに変わっていくことになりました。

Aくん
Aくん
ミャンマーの大きな変化

2008年に新憲法が制定

2011年民主制のスタート

民主制がスタートしたことで

スーチー氏の解放、経済制裁の解除

されました。

この時に国旗も現在のものに変更されています。

ここから、ミャンマーは大きく発展していくことになり

海外からは

『アジア最後のフロンティア』

と呼ばれるようになりました。

日本企業も多く進出しました。

2015年には

スーチー氏が率いる『国民民主連盟』が総選挙で圧勝しました。

本格的な民生が開始されることになります。

順風満帆とも思えたミャンマーでまたクーデターが起きたのはなぜだったのでしょうか??

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クーデターが起きた原因とは?

Aくん
Aくん
なぜまたクーデターが起きたのか?

まず1つ目

軍部が関与していたこと。

憲法では議会の議員の4分の1は軍部から選出されることになっていたこと。

2つ目

憲法の改正には4分の3以上の賛成が必要

(この時点で、軍部の関係が切り離すことができない)

3つ目

多民族国家ならではの問題

100以上の民族から成り立つミャンマーでは、争いが耐えないことや、その弾圧のために軍部が必要になってしまうこと。

(ロヒンギャと呼ばれるバングラデッシュ系の民族は、ミャンマーからは不法滞在民として扱われている:数十万人)

結局、

民族間の対立を解決することも出来なかった

経済政策も上手くいかなかった

民主政権としての意味をなさなかったこと

→国内は混乱が増しただけ

実際に、スーチー氏の手腕に問題があったのかと言うなれば、ロヒンギャ問題の取り組みに対しては、国際社会から批判されていたのも否めないようです。

ロヒンギャ問題=宗教問題

少数民族のロヒンギャ=イスラム教徒=10%

ミャンマーの多くの民族は仏教=90%以上

次に、憲法改正とロヒンギャ問題についての矛盾をわかりやすくお伝えします。

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ロヒンギャ問題と憲法改正をわかりやすく説明

https://www.youtube.com/

Aくん
Aくん
スーチーさんはノーベル平和賞剥奪されかける!?

ここで大きな、矛盾が生まれることになりました。

まず初めに

軍部は武力でロヒンギャを弾圧していると言われるようになり

スーチー氏は非難する声明をあげました。

しかし、上述のように宗教観の対立もあることから

仏教徒や軍部から、スーチー氏の声明に批判が起きることになります。

ここで重要になるのが、スーチー氏の最大の目的は

『憲法改正』です。

しかし、憲法改正を通すためには、

4分の3以上の賛成が必要

4分の1の議席は軍部

であることから、軍部からの支持者を得ること、残りの議席を確保するために軍部以外からの指示を集めないといけないことから、ロヒンギャ問題に対して、スーチー氏は

次第に何も話さなくなっていきました。

このことで、国際社会からも非難されたスーチー氏であり、あわや『ノーベル平和賞』の剥奪もあり得るとまで言われていました。

このことで、軍部はスーチー氏の失墜を目論んでいたようですが

スーチー氏の政権の2期目の選挙が行われたのが

2020年11月でした。

しかし、この選挙でも圧倒的に快勝したスーチー政権でした。

ここからは、憶測と言われているようですが。

軍部が失墜することや、憲法が改正されてしまうことでの焦りから2021年2月に、スーチー氏を拘束するという動きになったようです。

ただ、クーデターにより国際社会から再度孤立することで、軍部の利益も減少することからクーデターのメリットもないと言われていることから、軍部内でも色々な利権が関わっているように言われています。

そして、ここから衝撃的な問題として2021年12月6日のANNのニュースでは、禁錮刑4年+随時他の罪の判決も随時言い渡されることで 量刑が最終的に

禁錮100年

を超える可能性があるとも言われています。

このように現在も目が離せない状況になっています。

新しい情報が入り次第、更新いたします。

わかりやすくミャンマーの解説のまとめ

今回は、謎のスーチー氏の拘束やビルマ⇨ミャンマーへの国が変わった流れなどを説明させていただきました。

しかし、軍部とスーチー氏の争いが未だ止まる様子はありません。

過去の、軟禁時も、ミャンマーの後ろ盾として、中国やロシアが加担したことから、欧米からの非難も弱まってしまって経緯があります。

まぁ、ミャンマーは数年後には中国になっているとも言われているので、今まさに中国によって操られているのかもしれないですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

また次の記事でお会いしましょう。

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