今回は男はつらいよ、渥美清の晩年や家族との生活についての紹介!
一昨年に公開された『男はつらいよ、おかえり寅さん』50作目が公開されました。
長編ものシリーズなだけにキャストで死亡されている方々もいるとの話ですが、死因は一体なんだったのでしょうか?
また、名言の数々も動画でご紹介!
まずは、渥美清のプロフィールから見ていきましょう!
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渥美清のプロフィール
名前: | 渥美 清(あつみ きよし)
本名:田所 康雄(たどころ やすお) |
誕生日: | 1928年〈昭和3年〉3月10日 |
血液型: | B型 |
出身地: | 東京都 |
職業: | コメディアン、俳優、歌手 |
身長 | 169CM |
没後: | 国民栄誉賞 |
代表作: | 『男はつらいよ』 |

渥美清の幼少期はかなり貧しく、小学生の頃は欠食児童だったそうです。
丁度、渥美が小学校3年生の頃は第二次世界大戦が始まる2年前であることから、日本では現在のようにものが溢れている時代ではなく食べ物に困る時代ですね。
欠食児童(けっしょく じどう)とは、家庭の経済的困窮により、十分に食事を与えられていない子供のことである。
日本では、特に学校へ弁当を持参できず食生活に問題を抱える子供を指して用いられることが多い。
また、狭義ではそうであるが、広義に捉えれば、まともな食生活を送れないでいる子供、すなわち「欠食児童」は、洋の東西、過去と現在を問わず、世界に数多く存在し、今後も希望的推測が困難な状況にある。
また、渥美は病弱であったようです。
小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カルタなど多くの病を幼くして患っていました。
小学3年、4年の時は長期病欠であり、日がない一日をラジオに耳を傾けて過ごしていたそうです。
そのときによく聞いたのが、徳川夢声や落語で、覚えた落語を学校で披露したら大変な評判でした。
渥美は小学校卒業後、旧制私立巣鴨中学校に入学します。
しかし、1940年は第二次世界大戦開戦の翌年です。
そのことから、学徒動員により軍需工場へ駆り出され軍用機のラジエーターを造っていたとさ言われています。
1945年に巣鴨中学校を卒業します。
(旧教育制度での中等部は5年間)
卒業後、3月10日の東京大空襲で自宅が被災し焼け出されることになり工員として働いていたそうです。
その時の仕事が、担ぎ屋、テキ屋もしており、その時のことを本人は『親友の谷幹一に、かつて自分は桝屋一家に身を寄せていた』と語ったことがあるようです。
因みに担ぎやとは食料などを生産地から担いで来て売る人です。
第二次大戦後、色々なものを地方から都市へに運んで売った人のことをいいます。
この時の経験が『男はつらいよ』の役としても生かされる事になりました。
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渥美清の死因はなんだった?
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渥美清の命を奪ったものは、『肺がん』です。
しかし、肺がんは転移して出来たものと言われており元々は肝臓がんだったようです。
渥美の肝臓がんが発見されたのは、1991年63歳の頃でした。
1994年、肝臓がん発見から3年後に肺に転移したと言われています。
ただ、明確な情報ではないですが、1974年、渥美が46歳にがんを発症していたとゆう話もあります。
そのことがわかるのが(書籍:風天、渥美清のうた)で本人が語られています。
「父ががんという病気であることを知ったのは僕が幼稚園のころでした。いつも『オレはもう死ぬんだからお母さんの言うことをよく聞いてしっかりやれ』という叱られ方をよくした」
「九一年の宣告は(もともと持っていた原発の)肝臓がんが肺に転移したときの話だと思います。医師に呼ばれて母と妹の三人で写真を見ながら説明を受けました」
引用:書籍:風天、渥美清のうた
このように、1991年のがんの宣告はそれ以前にがんを患っていた部分からの転移のことを示唆されています。
ただ、47歳の若さでがんを患うと皆様もご存知のように確実に進行が早いので、21年もの期間がんと闘病するということは考えにくいですが。
当時の医療なので、47歳の時に本当にがんだったかどうかも怪しいところではあります。
または、初期のがんは悪性のものではなかったのかもしれませんね。
なので、渥美清の死因は『肺がん』ということになります。
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名作『男はつらいよ』のキャスト死亡の理由は?
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『男はつらいよ』は1969年公開から2021年現在で52年になります。
2年前に『男はつらいよ、おかえり寅さん』が放映されましたね。
当時の映像も織り交ぜながらでの上映に懐かしむ人も多かったのではないでしょうか?

- 車竜造役の下条正巳さん:2004年
(膵臓がん:88歳) - 車つね役の三崎千恵子さん:2012年
(老衰:91歳) - タコ社長の太宰久雄さん:1998年
(胃がん:74歳)
シリーズ48作に登場された御三方ですが、死因を考えても皆様ご高齢出会ったこともあり年齢的なものと考えられます。
仮に美咲千恵子さんがシリーズ50作目に出演されていたら99歳での出演ということになりましたね。
もし出演されていたらギネスになっていたかもしれませんね。
また、『男はつらいよ』には過去に紹介した
《今何してる?病気で療養?》吉岡秀隆は童顔だけど今何歳になったの??
吉岡秀隆さんも出演していますね。
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渥美清の晩年

渥美の晩年はかなり苦しかったそうです。
それもそのはず、がんに蝕まれる身体を隠して撮影に望み続けていたようです。
特に最後の5年は
立って歩くことも
きつかったそうです。
この頃からトレードマークのトランクに腰をかけるシーンが増えたみたいです。
また、渥美はプライベートでも『寅さん』であり続けていたとの話もあります。
それほどに『男はつらいよ』の世界観を大切にされていました。
しかし、晩年には撮影時に集まるファンへ笑顔を作ることや手を振ることさえもできなくなっていたようです。
そのため監督に相談しファンサービスや挨拶を省略してもらっていたそうです。
しかも、その病状をほとんどの人には伝えていなかったようです。
ただ、家族に伝えた本心として
俺のやせ細った死に顔を他⼈に⾒せたくない。⾻にしてから世間に知らせてほしい
と家族には伝えており、家族のみの密葬で葬儀はとり行われました。
そのため、映画のスタッフは何も知らないまま、死の2日後に渥美の家に訪問したときに奥様からその死を伝えられたそうです。
渥美は亡くなる前の病床でクリスチャンとしての洗礼を受けたそうです。
その影響を与えたのは奥様だったようです。
これは過去に紹介した
『馴れ初め』ロザンナとヒデの壮絶な死因と現在どうしてる【愛の奇跡】
のヒデもロザンナの勧めで死の間際にクリスチャンとしての洗礼を受けています。
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渥美清の家族や結婚は?

渥美の私生活は、寅さんとは違い結婚し子供が二人いたそうです。
ただ、渥美はプライベートは一斉公表していませんでした。
ファンの方でさえ独身と思っていた人は多かったそうです。
因みに渥美清が結婚したのは『1969年3月』この年は映画版『男はつらいよ』が始まった年でもあります。
渥美は41歳、奥様は竹中正子さんという方で歳の差は18歳です。
挙式は出雲大社、披露宴はホテルニューオータニで行ったそうです。
関係者には連絡していたそうですが、公にならなかったことからするとかなり限られた方にしか伝えていなかったのかもしてませんね。
恐らく『寅さん』のイメージを崩さないためだったとも言われています。
寅さんといえば恋はすれど報われないイメージですもんね。
因みに息子さんは、フリーラジオライターの⽥所健⼀郎さんです。
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渥美清のまとめ
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今回は往年の名俳優、寅さんこと渥美清の紹介でした。
寅さんが亡くなって今年で25年が経ちますね。
それでも今だに映像で人に感動を与え続ける『寅さん』はきっとこの先何十年も残り続ける作品であることは間違いないでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!
では、また次の記事でお会いしましょう。
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