神様ペレが賞賛した男、佐々木博和の紹介!
元日本代表にも選ばれた男、佐々木博和の現在や家族、息子、そして元日本代表の本並との関係は?
天才少年と呼ばれた、佐々木博和の徹底調査!そして、近々本並と再開されるようですが、元天才少年佐々木博和は何を語るのか!?
佐々木博和のプロフィール(日本代表歴)
名前: | 佐々木博和(ささき ひろかず) |
誕生日: | 1962年2月16日 |
血液型: | |
出身地: | 岡山県 |
職業: | 元サッカー選手:元フットサル選手 |
身長 | 164cm |
事務所 |
略歴
佐々木博和の現役時代のポジションはMF(但し攻撃的MF)、DF(サイドバック)
途中でポジションチェンジしています。
佐々木博和は小学4年生の頃、枚方FCでサッカーを始めます。
小学生時代から天才サッカー少年として名を馳せます。
また、中学時代の1977年にはペレから直接指導を受け絶賛された。(下の項目で詳しく解説)
1978年には日本ユース代表に選出されます。
1980年には日本代表に選出さりものの、残念ながらワールドカップ・スペイン大会アジア予選では出場機会はありませんでした。
同年に松下電器産業サッカー部へ加入します。
その後中、持ち前のドリブルを活かし中心選手として活躍することで、1984年に日本サッカーリーグ2部へ昇格へ貢献します。
同チームは翌年には、1985年に2部を制します。
たった創設5年で1部昇格へと導くことになります。
その頃から、サイドバックに転向し1991年の天皇杯優勝に貢献します。
1991年に同チームの監督の構想からは外れることで、1993年のJリーグ開幕を前にヴェルディ川崎へ移籍することになります。
1994年にはジャパンフットボールリーグのセレッソ大阪へ移籍し、その年のJリーグ昇格に貢献します。
やはり、圧倒的なドリブルセンスを持つ佐々木博和のテクニックはフットサルでも活躍できるのは流石ですね。
その後、翌年1995年に現役を引退されます。
ただ、引退から6年後の2001年にフットサル日本代表に選出されるという異例の抜擢を受けアジアリーグ戦に参加し、イラン戦で優秀選手賞を獲得しています。
因みにこの時、佐々木博和は39歳です。
現役引退後6年がたち、39歳という、肉体のピークを過ぎた年齢でありながら、フットサルの日本代表に選出され更に、最優秀選手を受賞されるのはまさに圧巻です。
活動
- 枚方FC
- 大阪産業大付属高等学校
- 1980年-1992年 松下電器
- 1992年-1993年 ヴェルディ川崎
- 1994年-1995年 セレッソ大阪
- 1999年 セレッソ大阪 ジュニアユース監督
- 2001年 北陽高等学校 監督
- 2003年 スペランツァF.C.高槻 監督(L・リーグ)
佐々木博和がサッカー日本代表に選ばれながら、出場機会に恵まれなかったのはフィジカル的な問題かと思われます。
日本代表ジュニアユースでは出場されていたことや、フットサルで活躍されていたことから、テクニックでは圧倒できるものがあったとしても小柄な体格は、難しかったのではないでしょうか?
余談ですが、アジア人の成長は、欧米人、アフリカ人とは異なります。
良い面では、若く見えるのですが、これはアジア人の進化の過程で成長が止まるらしいです。
他の生き物に例えると、ウーパールーパーと同じらしいです。
要するに、完全に成熟しないで発育が途中で止まるみたいです。
なので、U18まではサッカー日本代表はかなり強いのですが、それ以降の成長が、アジア以外の国の人のようにないためどうしてもパワー負けしてしまうそうです。
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佐々木博和の少年時代と神様ペレに賞賛された理由
佐々木博和は小学4年のときから枚方FCでサッカーをはじめます。
当時から体は小さく、また学校の体育の時間での能力はむしろ低いレベルだったらしいです。
それからサッカーを始めるとすぐに上達したそうです。
練習以外でも、道路を歩くに時もボールを転がし、ドリブルをしていたほど熱中していました。
そして石段をボールリフティングしながら上がるほどの、圧倒的なボールコントロールをみにつけます。
この時、危ないからと道路でのドリブルは止められたそうです。
そして、佐々木博和が中学生の1977年、ペレが来日します。
その時に、ペレの講習会行われ、大阪球場で関西中学生選抜チームとブラジルの同試合チームと試合が行われます。
当時ブラジルの少年のパフォーマンスは日本人の少年よりも高いのにも関わらず、佐々木博和がボールを持つと、ファールをしても潰しにきたようです。
抜群のボールコントロールが、ブラジル人チームには脅威に感じたんだと思います。
この試合を見たペレはこの時以下のように話したようです。
ペレは佐々木博和の技術を褒めるより
「これくらいできるのだから、もっと仲間を使い、パスを出し、サポートするようになってほしい」
と言ったそう。
厳しい批評だと思われるが、15歳の佐々木に高い要求を出したのは、佐々木の技術の高さを認めたとからこそ、更なる成長を期待したからと言われています。
また、この時ブラジルにつれて帰りたいと言われるほどの才能だったようです。
時代や環境が違えば、佐々木博和はもっと活躍出来た選手と思われます。
今は小柄でも活躍している選手は多くいます。
バロンドールの受賞者の4分の1が小柄な選手と言われています。
あの、マラドーナは165CM
日本人で有名だとやはり長友祐都選手じゃないでしょうか?
170CMしかない身長でありながら、圧倒的な運動量で最後までトップスピードを維持し続けるスタミナと180CMの選手にも当たり負けしない体幹が持ち味で世界で活躍しましたね。
因みに長友選手は、大学時代にヘルニアになりそこからの復帰の過程であのフィジカルを体得しています。
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佐々木博和と本並健治
あいつ今何してる?で本並選手と佐々木博和が30年ぶりに再会されますね。
本並がゴールキーパーとして活躍していた現役時代、衝撃を受けた天才選手と約30年ぶりの再会!松下電器所属時代の先輩で「足に吸い付くようなドリブル」に衝撃を受け、ペレが来日した時には「上手いから連れて帰りたい」と絶賛する程の実力だったという。しかし、いつの間にか姿を見ないように…日本代表も務めていた天才選手は、なぜ突然姿を消したのか?
引用:あいつ今何してる番組紹介
本並選手と佐々木博和の出会いは、ガンバ大阪の前進である松下電器産業サッカー部に所属したことがきっかけです。
あいつ今何してるではどんな話が出てくるのか??
あの元日本代表の本並選手が絶賛されるほどの佐々木博和の逸話がまだまだ出てくるかもしれませんね。
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佐々木博和の現在や息子はいる?
佐々木博和は現在、枚方市で佐々木博和フットボールアカデミーをされています。
理念とポリシーが凄い!!
このように熱意が凄いです。
またその理念通り、卒業生が多くの結果を残されています。
以下参考
(サッカープロ)
ガンバ大阪・ジェフユナイテット千葉・ロアッソ熊本
ガイナーレ鳥取・ドイツ(ハノーハ)・FC琉球
(フットサル・プロ)
デウソン神戸・シュライカー大阪・フットサル日本代候補(Jリーグユース)
ガンバ大阪ユース・ジュビロ磐田ユース・東京ベルディユース
このように現在は、育成に携わっているようです。
また、ペレも賞賛した人間に教えてもらえるので、当然の結果ですね!
そして、気になる息子説なのですが、、、
もしいたら、最高のDNAの持ち主ですよね。
で、ネットで色々調べたのですが、全くと言っていいほど佐々木博和の情報がありませんでした。
もしかしたら、結婚せずに育成に力を入れているのか、、、
もしくは息子ではなく娘かも知れませんね。
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佐々木博和のまとめ
今回は、ペレに賞賛され天才と言われた佐々木博和の紹介でした。
本並選手との話が楽しみですね。
サッカー好きの方はこちらも!
伝説の男、ゲルトミュラー
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!
では、また次の記事でお会いしましょう。
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