伝説!爆撃機ゲルトミュラーの 凄さとありえない逸話の数々!?

今回は珍しいかもしれませんが、サッカー元西ドイツ代表、ゲルトミュラーのご紹介!

ゲルトミュラーが爆撃機と呼ばれた理由や、数々の逸話とその凄さについて、お伝えします。

最近は、メッシがバルサを退団したことで、サッカーの話題は、メッシに持っていかれていますが、ゲルトミュラーの凄さは、メッシに劣るものではありません。

それではプロフィールから見ていきましょう!

ゲルトミュラーのプロフィール

名前: Gerhard “Gerd” Müller

ゲルハルト・”ゲルト”・ミュラー

誕生日: 1945年11月3日
血液型:
出身地: 西ドイツ・ネルトリンゲン
職業: 元サッカー選手:サッカー指導者
ポジション: フォワード

未だに破られることのない、記録を持っている、ゲルトミュラーは、元バイエルン・ミュンヘン所属もサッカー選手です。

初まりは、1963年、地元のクラブ・TSVネルトリンゲンでデビューします。

ここでの活躍がスカウトの目に留まり、翌シーズンにはバイエルン・ミュンヘンと契約します。

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ゲルトミュラーのクラブ経歴と伝説

バイエルン・ミュンヘンの在籍期間は15年間

在籍時チーム成績

4回のリーグ優勝(1969 /1972/ 1973 /1974年)

チャンピオンズカップ優勝3回(1974 / 75 / 76年)、

カップウィナーズカップ優勝1回(1967年)、西ドイツカップ優勝4回(1966 / 67 / 69 / 71年)

個人成績

ブンデスリーガ 通算427試合365得点の成績を残した

バイエルン 歴代最多得点 515得点

ブンデスリーガ、得点王7回

  • 1966-1967 28得点
  • 1969-1970 38得点
  • 1968-1969 30得点
  • 1973-1974 30得点
  • 1972-1973 36得点
  • 1971-1972 40得点
  • 1977-1978 24得点

1971年のシーズン40得点

2020年2020-2021にポーランドのロベルト・レヴァンドフスキが41得点を記録するまで、約50年更新されることのない記録でした。

平均すると、ゲルトミュラーはドイツの1部リーグ105分1ゴールを決めた計算になります。アディショナルタイムを考えると、ざっくり、一試合に1得点は決めるぐらい、、、、

1試合位に確実に1点を決めてくるストライカーって化け物ですよね、、、

それゆえ、爆撃機と名前がついたこともうなづけます。

実際のゲルトミュラーの連続得点記録は、1969-70シーズンにブンデスリーガ最多記録となる16試合連続得点をが最高記録であり現在も破られていません。

(というかこの先もこの記録を超える選手が出てくるのかも疑問のレベル)

ゲルトミュラーはブンデスリーガ87試合で2得点以上を挙げています。  これも2位と大差をつけのてリーグ最多記録。

ゲルトミュラーは上記87試合中32試合でハットトリック、さらにハットトリック以上のゴールを決めている。ゲルトミュラーはそのうちの4試合で5得点、10試合で4得点を記録した。

1試合で5得点、、、90分÷5得点=18分に1得点決めている試合が4試合

1試合で4得点、、、90分÷4得点=約23分に1得点決めている試合が10試合

ゲルトミュラーの代表経歴と逸話

1966年10月12日 vsトルコ戦で代表デビューは無得点

2戦目のアルバニア戦では4ゴールを挙げる。

1970年メキシコワールドカップ

グループリーグ、ブルガリア戦、ハットトリック

グループリーグ、ペルー戦でハットトリック

準決勝のイタリア戦、2ゴールを決める

3位決定戦となったウルグアイ戦以外全ての試合でゴールを決める

10得点で大会得点王を獲得

1974年西ドイツワールドカップ

オランダとの決勝戦で決勝ゴールを決める

4得点3アシストを挙げる。

ワールドカップ通算14ゴールは、32年間歴代最多記録

(ブラジル代表のロナウドが2006年ドイツワールドカップで塗り替える)

ロナウド、15得点、19試合=1試合0,78 得点

ミリスラフ:クローゼ 16得点、24試合=1試合0,66得点

ゲルトミュラー 14得点、13試合=1試合1,07得点

トータル点数では、記録を破られたものの、1試合あたりの得点率は、上位2人を上回っている。

W杯の1試合あたりの得点率が1を超えてるって、、、

1972年の欧州選手権

決勝ソビエト戦で2ゴールを挙げる

4得点を記録、得点王に輝く活躍でチームを優勝へ導く。

1974年決勝オランダ戦を最後に28歳で代表を引退。

引退が早いんですよね。W杯も2回しか出ていなくて、これまでの成績なので、期間を考えるとありえない、規格レベル、クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシも30代半ばでもまだ、プレーしてるし、、、

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爆撃機デア・ボンバーの由来と皇帝ベッケンバウアー

デア・ボンバー、爆撃機とよばれた理由は上記の通り、ありえないスピードで得点を挙げられたことで、ついたゲルトミュラーの二つ名

皇帝ベッケンバウアーが語る彼は3つ

  • 信じられないゴールへの執念

ゴールへの執念は凄まじくゲルト・ミュラーはどんな形でも位置からでも得点を決めた。ゲルト・ミュラーの得点の方法は信じれなかったっと皇帝は語った。ゴールを仕留めるための絶対的な意志があった。そのゴールへの執念は仲間までも圧倒したんだ。今でも覚えているが、ミュンヘンのオリンピアシュタディオンの杮落としの試合となったUSSR戦で、ウリ・へーネスがゴール前でフリーだった –  だが突然ゲルトミュラーがウリの後ろから猛烈に走り込んでボールとウリをゴールに入れた。それは彼のゴールであり、彼にとって重要だった」

引用元:皇帝 ベッケンバウアー

  • 練習中でも止めるのは不可能

 彼が全てをやってのけてしまう選手、練習中、他の全員が「時々彼に対して怒りを覚える時があった」:それは練習中でもゲルトミュラーは得点を量産したからだ。「我々との練習中で彼がしていたことはただの”侮辱”だった – そう思っていたよ。当時ハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベックと私は時々こう言っていた:今日は気にしない、今日も必要ならば彼に圧倒的勝利をプレゼントしよう。 それでも我々は彼を止められず、彼は常に1人でゴールまで走って行った。もし毎日彼のプレーを近距離で経験していなかったら、彼のプレーは信じれなかっただろうね」

引用:皇帝 ベッケンバウアー

  • 常に良い友人

「私はゲルト・ミュラーと一緒にプレーできた大きな幸運を持っていた – そして長年同部屋のパートナーだった。我々はただのチームメイトではなく、固く結ばれた友人だ。ゲルトミュラーは、私にとって兄弟みたいだったね。今後100年間も人々はゲルト・ミュラーについて語っていると確信している。そして常に人々はどうやって彼があのゴール数を叩き出したのかを疑問に思うはずだ。彼は天才だった」

引用:皇帝 ベッケンバウアー

あの、皇帝ベッケンバウアーが上記のように語るように、本当に嘘みたいな話であるが、本当の話だと話しています。

ゲルトミュラーの普通では信じられないぐらいの伝説の数々は、この先も語り続けられる、伝説のストライカーです。

引退後、ゲルトミュラーは、アルコール中毒に悩まされますが、それを支えたのも、ベッケンバウアーがいたからこそ、ゲルトミュラーは立ち直っています。

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爆撃機ゲルトミュラーのプレースタイル

皇帝ベッケンバウアーが語ったように、PA内の騎士で泥臭くそしてどんな体勢からもゴールを狙える典型的なストライカー。
ただ、特別フィジカルが強いわけでもなくドリブルも高校くらいのレベルと言われています。
ゴールへの嗅覚とゴールセンスが圧倒していたとのこと。
いくら、ドリブルやテクニックがあっても、得点出来ない選手は多いです。
特に、ここ1番のゴールセンスと勝負強さは、天性のものと思います。

ゲルトミュラーのまとめ

今回は、伝説のストライカー、爆撃機ゲルトミュラーの紹介でした。

8月15日にその伝説と共にその人生の幕を引かれました。

追悼の意を込めて。

そして、伝説がこの先も長く語り継がれることを願います。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

今後も皆様に役立つ情報を一つでも多く発信できるように頑張ります!

では、また次の記事でお会いしましょう。

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